4月28日 藤田喬平(ガラス工芸家)

作家というのは本当は六十からが勝負。自分の持ち味を出せるようになるんだ

藤田 喬平(ふじた きょうへい、1921年4月28日 – 2004年9月18日)は、ガラス工芸家。イタリアで学んだ色ガラスと金箔を混ぜた飾筥(かざりばこ)で独自のガラス工芸分野を確立した。1997年(平成9年)文化功労者。2002年(平成14年)文化勲章受章。

この言葉の後には「若いうちは自己主張が強くなるが 人間を積み重ねることによって力を抜けるようになる 手を抜いているようで手を抜かない これが出来ないと、、、」と続く。藤田は1976年に日本ガラス工芸協会会長に就任するが、その翌年の1977年にはイタリアヴェネツイアに渡りガラス制作を始める。このとき、56歳。藤田は、「ベネツイアの恋」などベニス花瓶などの新作レース文様ガラス器を次々と発表して新境地を開いていく。「趣味なんか持っていたら、仕事なんかできないよ」と言いながら過去の自分の殻を破っていく姿には感動を覚える。藤田喬平は中年の危機をこのようにして乗り切って世界を相手に高みに登っていったのである。

【久恒啓一】
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