6月13日 白瀬矗(陸軍軍人、南極探検家)

酒を飲まない。煙草を喫わない。茶を飲まない。寒中でも火にあたらない

白瀬 矗(しらせ のぶ、文久元年6月13日(1861年7月20日) – 昭和21年(1946年)9月4日)は、日本の陸軍軍人、南極探検家。

南極探検後、帰国した白瀬は4万円(現在の1.5ー2億円)の負債を一人で背負うことになる。この返済のために全国行脚の講演を行って全額を返済するため、極度の貧乏生活を送っている。「恵まれぬ 我が日の本の探検家、パンを求めて処々転々」とは悲しい歌である。辞世の歌は「我なくも 必ず捜せ南極の 地中の宝世にいだすまで」であった。1955年にベルギーで開かれた国際地球観測年に関わる南極会議で、当初は反対が多かったが、日本は白瀬隊の実績を述べて南極基地を設けて観測に参加することができたのである。「何とでも言え、世間の毀誉褒貶というものは、雲か霧のようなものだ。山が泰然としていれば、雲や霧が動いたとて、何ほどのことがあろう。やがて晴れる時が来るに違いない」と語っていたように、白瀬の志は死後に実った。

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【久恒啓一】
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