8月7日 武見太郎(医師)

次のような人は順番にかかわりなく、直ぐに診察します。一、特に苦しい人、一、現役の国務大臣、一、80歳以上の高齢の人、一、戦時職務にある軍人

武見 太郎(たけみ たろう、1904年8月7日 – 1983年12月20日)は、日本の医師である。日本医師会会長、世界医師会会長を歴任した。

戦時中、そして戦後も、銀座4丁目の武見の診療所に貼ってあったのが冒頭の方針を書いた張り紙である。幸田露伴、西田幾多郎、鈴木大拙、幣原喜重郎などもかかっていた。この張り紙のとおり、近衛文麿首相も首相を辞めた後は、行儀正しく順番を待っていたらしい。実際の診療場面では意外にやさしかったらしい。「ぼくがすれば痛くないよ」と声をかけながら診察を進めた。軽いスキンシップをしながら、いつもニコニコして「大丈夫、大丈夫」と声をかけた。患者の質問には丁寧に答えた。ケンカ太郎は、また情けと涙の人でもあったことがわかる言葉でもある。

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【久恒啓一】
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