2月9日 高野悦子(映画運動家、映画プロデューサー、放送作家、演出家)

興業という、文化から程遠いところで仕事をしていますが、志だけは高く持ってきました

高野 悦子(たかの えつこ、1929年5月29日 – 2013年2月9日)は映画運動家、岩波ホール総支配人、映画プロデューサー、放送作家、テレビドラマ演出家。

冒頭の「志だけは高く持ってきました」は、文化功労者の授賞式での高野の言葉である。女性のロールモデルはなかなかいない。この人には、師匠、友、仕事量、志、構想力、修養、日本など、私の考える偉人の条件がすべてあてはまる。高野悦子は高い志を、一生をかけて実現した偉大な聖人である。

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2月8日 江副浩正(実業家)

自ら機会を創りだし、機会によって自らを変えよ

江副 浩正(えぞえ ひろまさ、1936年(昭和11年)6月12日 – 2013年(平成25年)2月8日)は、日本の実業家。特例財団法人江副育英会理事長。株式会社リクルートの創業者。

「自ら機会を創り出し、 機会によって自らを変えよ」という短い強烈なメッセージは、若者の野心を引き出し、飛躍し続ける多くの事業家を育てた。江副浩正のこの貢献は忘れてはならない。自分の最大の教育者は自分自身なのだ。

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2月7日 河上和雄(検察官、弁護士、法学者)

はたして、この仕事だけで一生を終えていいのか?

河上 和雄(かわかみ かずお、1933年4月26日 – 2015年2月7日)は、日本の検察官・弁護士・法学者。東京地検特捜部長、法務省矯正局長などを歴任し、最高検公判部長を最後に退官し弁護士となった。駿河台大学名誉教授。作家の三好徹は実兄。

自分なりの決め事、判断基準を持っていた河上は、意義のある仕事の限界をみて、先の見えない人生を歩むことを決断している。ひからびた精神状態で過ごすであろう高い地位を捨てたその後、監査役などで関与した企業などは、ニチレイ、京都ホテル、キューピー、リキッド・オーディオ・ジャパン、ルシアン、遊戯産業健全化推進機構、石油資源開発、ROKIなどだ。2007年には、74才で『折鶴』『宗谷岬』などのヒット曲を持つ歌手の千葉紘子(63才)と再婚している。そしてテレビの真相報道 バンキシャの『ご意見バン!』としての発言している古武士の風格がある姿はよく知られている。没するまでの20数年間は、退屈ではなかっただろう。

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2月6日 渡辺和博(編集者、漫画家、イラストレーター、エッセイスト)

主張と収入の和は一定である

渡辺 和博(わたなべ かずひろ、1950年2月26日 – 2007年2月6日)は、日本の編集者、漫画家、イラストレーター、エッセイストである。

34才で華々しく世に出て56才で夭折した人なので、同世代の私もこの人には興味がある。「主張と収入の和は一定である」は、コツコツ働いてある程度の高収入を得るか、言いたいことを言って低収入に甘んじるか、という選択を迫る言葉のように聞こえる。宮仕えの一面をえぐった言葉であり一理はあるが、グラデーションが濃くなるように自己主張をしだいに強めながら組織の階段をのぼっていく中間的なやり方もある。階段をのぼると制約が増すのではない。収入も増すが、それ以上に自由(主張)が拡大するのである。この妙味を渡辺は知っていたかどうか。

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2月5日 高橋竹山(津軽三味線の名人)

ヘタな三味線では、だれも戸を開けてくんねえ

初代・高橋 竹山(たかはし ちくざん、1910年6月18日 – 1998年2月5日)は津軽三味線の名人。地方の芸であった津軽三味線を全国に広めた第一人者である。

門口に立ち芸を披露して金品を受け取る形式の芸能を門付と呼ぶのだが、「ヘタな三味線では、だれも戸を開けてくんねえ」は竹山が若い自分の東北・北海道での門付の経験からでた言葉である。社会の底辺で生き延びるために、閉ざされた戸を開かせようと必死で三味線を弾いて腕を上げたのである。その「じょんがら」を弾く三味線捌きは、人々の魂を揺さぶった。

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2月4日 芦野宏(シャンソン歌手、声楽家)

シャンソンは『こころの歌』とも言われていますが、歌い手の人柄や人生が、歌の中に現れてくるものだと思います

芦野 宏(あしの ひろし、1924年6月18日 – 2012年2月4日)は、日本のシャンソン歌手、声楽家。

芦野が歌った「幸せを売る男」の歌詞は「心にうたし 投げかけ歩く 私は街の 幸せ売りよ いかがですか そわかときくあ  いかがですか ありがとうは 私どもの商売は 幸せ売る商売 夏も秋もいつの日も 歩きまわる仕事あなた方が悩み深く 笑うことを忘れた時  この私を思い出せば 悩みなどは消えて笑顔」である。
「歌い手の人柄や人生が、歌の中に現れてくる」。これはある歌い手に対して芦野が語った言葉だが、それは芦野自身についても言えることだろう。「幸せを売る男」の歌詞と歌う姿を思い出すと、シャンソン歌手としての芦野は、まさに幸せを売る男だったという感じがする。

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2月3日 三浦朱門(作家)

失敗談を語れ

三浦 朱門(みうら しゅもん、1926年(大正15年)1月12日 – 2017年(平成29年)2月3日)は、日本の作家。日本大学芸術学部教授、文化庁長官(第7代)、社団法人日本文藝家協会理事長(第7代)、日本芸術院院長(第4代)などを歴任した。

三浦朱門は過去の成功を語るな、威張るな、そして失敗談を語れと言う。自分を客観視してその滑稽さを笑う、そういう中から若い人が何か参考にしてもらえばいいという。そういえば、福沢諭吉は常に失敗したことしか語らなかった、偉い人だと感心したと後に山本権兵衛が言っていたエピソードを思い出した。なるほど、それなら山ほどある。失敗を語ろう。

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2月2日 山内一弘(プロ野球選手(外野手、監督、野球解説者、評論家)

ボール二は打つところが五ヶ所ある。内側、外側、上、下、真ん中だ

山内 一弘(やまうち かずひろ、1932年5月1日 – 2009年2月2日)は、愛知県一宮市出身のプロ野球選手(外野手、右投右打)・コーチ・監督、野球解説者・評論家。

冒頭に掲げた「ボールには5ヶ所打つところがある」は、広島の高橋慶彦にコーチした時の言葉である。高橋はこんなことは初めて聞いたと驚いている。研究心が垣間見えるエピソードだ。一筋に取り組む職人的姿勢は山内自身をつくったのにとどまらず、同僚、後輩に多くの影響を与えた。それがプロ野球の交流に貢献を果たすことになった。どのような分野でも、こういう人は貴重である。

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2月1日 佐伯旭(実業家、シャープ二代目社長)

真理は平凡な中に在る。一朝一夕にことがなるものではない。一日一日が大事なのだ

佐伯 旭(さえき あきら、1917年(大正6年)3月8日 – 2010年(平成22年)2月1日)は実業家。シャープ二代目社長。中興の祖。

佐伯社長時代のシャープはイノベーションの連続だった。その秘密は日々の地味な技術開発の努力にあった。一日一日を尺取り虫のように、1ミリずつ進んでいったのだ。リーダーの持つ平凡な真理を信奉する姿勢が一介のアッセンブリー(組み立て)工場を世界的メーカーに押し上げたのである。シャープはその後、曖昧なトップ人事に端を発する内紛に伴う経営戦略の失敗によって破綻し、台湾の鴻海(ホンハイ)傘下に入り、現在経営再建中である。企業を永続的にさせることは実に難しい。

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