5月21日 藤山寛美(喜劇役者)

順番を待っているだけの人間には永久に順番が来ない

藤山 寛美(ふじやま かんび、本名:稲垣 完治(いながき かんじ)、1929年6月15日 – 1990年5月21日)は、日本の喜劇役者。

1951年の「桂春団治」では、寛美に与えられたのは主役の渋谷天外に「ツケを払うとくなはれ!」というセリフだけだったのだが、アドリブで延々とアホ役を続け、人気が沸騰した。やはり、寛美はただ順番を待つ人ではなかった。与えれたチャンスで出番をもぎ取る。その姿勢を生涯貫き、ついに喜劇王となったのだ。順番を待つだけの人には永久に順番は来ない。至言である。

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5月20日 牧野剛(評論家、市民運動家、河合塾講師)

曲がったキュウリ

牧野 剛(まきの つよし、1945年9月24日 – 2016年5月20日)は、日本の評論家、市民運動家。河合塾講師。

河合塾の名物講師であった牧野剛は「曲がったキュウリ」を合い言葉に、弱者の視点に立って権力の腐敗を衝く姿勢は、多くの学生に共感を呼んだ。現在の立憲民主党の辻元清美は教え子である。曲がったキュウリは八百屋などで選別されてしまい、お店に並ばずに処分されてしまうことが多いが、まっすぐなキュウリと比べても味は変わらず、むしろ強いという意味である。それは弱者に向けての励ましの言葉である。牧野剛はまがったキュウリに未来を託そうとしたのだ。

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5月19日 七代目 中埜又左エ門(経営者)

“衛”には守るという意味があり後ろ向きであるが、“エ”は工夫の“工”にも通ずる

七代目中野(中埜) 又左衛門(なかの またざえもん。本名は中埜政一。1922年11月28日−2002年5月19日)は、日本の経営者。半田市名誉市民。

1960年の七代目の襲名にあたり又左衛門を又左エ門に改めると発表した。「“衛”には守るという意味があり後ろ向きであるが、“エ”は工夫の“工”にも通ずる」という理由だった。歴史的な名前をそのまま受け継ぐのではなく「新しいミツカンを作り上げていく」という決意の表れだった。七代目は自らの名前を書くとき、見るときには、この決意を思い出していたであろう。初心を忘れないように自らを励ます仕掛けだったのだ。その心意気が七代目を「中興の祖」に押し上げたのである。

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5月18日 伊藤ユミ(歌手)

追いかけて追いかけて すがりつきたいの あの人が消えてゆく 雨の曲がり角

伊藤 ユミ(いとう ユミ、1941年4月1日 – 2016年5月18日)は、日本の歌手で、ザ・ピーナッツのメンバーである。ザ・ピーナッツの伊藤エミは双子の姉。

冒頭に掲げた「追いかけて追いかけてすがりつきたいの.あの人が消えてゆく雨の曲がり角」で始まる『恋のフーガ』(作詞:なかにし礼。作曲:すぎやまこういち)、そして「哀しいことも ないのになぜか 涙がにじむ」で始まる『ウナ・セラ・ディ東京(作詞:岩谷時子。作曲:宮川泰)、「京都 大原 三千院 恋に破れた女がひとり」で始まる『女ひとり』(作詞・永六輔。作曲:いずみたく)など、今でもかわいらしい姿と高い歌唱力と魅力的なハーモニーが甦ってくる。歌は人びとの人生に影響を与える。亡くなって気づくことが多いのだが、歌手という存在は偉大である。

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5月17日 古岡秀人(編集者、出版事業家)

戦後の復興は教育をおいてほかにない

古岡 秀人(ふるおか ひでと、1908年12月15日 – 1994年5月17日)は編集者、出版事業家。

古岡は社員には早くから「高齢化時代に社会貢献できることを用意しておきなさい」と語っていた。現在の学研ホールディングスは、「教育」を基軸に出版事業、塾事業、教材・教具の制作・販売、保育園の運営に加え、創業者の言葉通りに高齢者住宅、介護サービス等、医療福祉分野にも事業を展開している大企業となっている。今日の学研の隆盛は古岡秀人の時代を見る「目」が冴えていたことを証明している。時代をどう見るかが事業の成否を決める。

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5月16日 邱永漢(実業家、作家、経済評論家、経営コンサルタント)

人生とは、「お金」という煉瓦を「時間」というセメントで積み上げていく作業工程

邱 永漢(きゅう えいかん、1924年3月28日 – 2012年5月16日)は、日本および台湾の実業家、作家、経済評論家、経営コンサルタント。

お金や株に関する著書が多く、文壇からは異端視されたが、人気は高かった。私も若い頃には読んで参考にしていた。邱永漢は文筆業に志があったのだが、人から相談を受けて事業や資金運用についてアドバイスをしているうちに、自分で実験した方が早いと考え、好奇心と冒険心を発揮して様々な事業に手を染めた。お金の悩みはあらゆる職業、あらゆる年齢の人にまたがっている。悩みは秘密と重なっているから自然に天下の情勢に通ずるようになったという。充実した人生の鍵は、お金と時間の相関にある。

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5月15日 高坂正堯(国際政治学者)

古典を読んでわからなければ自分をアホだと思いなさい。新著を読んでわからなければ、著者をアホだと思いなさい

高坂 正堯(こうさか まさたか、1934年(昭和9年)5月8日 – 1996年(平成8年)5月15日)は日本の国際政治学者。

29歳で『現実主義者の平和論』でデビューした高坂正堯は「私は下賀茂に住まう京都人として死にたい」とつぶやき、若くして惜しまれながら世を去った。
この文章を書きながらもはや古典となった感のある高坂正堯の書を含め、やはり古典に親しむべきであるとの想いを強くした。

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5月14日 鈴木俊一(政治家、第9~12代東京都知事)

節目節目に古井(喜実)さんという人がいろいろな形で登場するんです

鈴木 俊一(すずき しゅんいち、1910年(明治43年)11月6日 – 2010年(平成22年)5月14日)は、日本の政治家、内務・自治官僚。第9~12代東京都知事。

都知事4選の選挙では真向法で柔らかい体を見せて驚かされたことが記憶にある。「地方自治の巨星」鈴木俊一は2010年に99歳で死去。わずかに数ヶ月100歳に届かなかった。この人の立派な経歴の中でも古井喜実という若い時の上司がたびたび登場する。これほどの人でも大きな転機には必ずこの先輩に相談している。やはり、人には仰ぎ見る「師匠」が必要のようである。

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5月13日 瀬戸雄三(実業家)

リーダーは不満や行動ができない理由などを引き出して負担を取り除かねばならない

瀬戸 雄三 (せと ゆうぞう、1930年2月25日 – 2013年5月13日) は日本の実業家。
絶頂期に入社し30年続く転落で「夕日ビール」と揶揄されたアサヒビールの社長としてスーパードライを無敵の商品に育て上げた人である。

波瀾万丈での企業人生を送り、「変化と挑戦」を続けた瀬戸雄三のリーダー論の中で、私は不満や理由を取り除き現場の負担を解消するという考えに共鳴する。公式な報告だけでなく、現場の本音の「生」の情報に接して、情報の坩堝となって問題のありかをとらえるべきだ。スーパードライと同様に問題の「鮮度」に敏感に反応し、明快な解決策を講じ、すぐさま実行していく。そのサイクルをまわす役目が目指すべきリーダー像であろう。

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5月12日 蜷川幸雄(演出家、映画監督、俳優)

大きい物語を書くことを恐れるな

蜷川 幸雄(にながわ ゆきお、1935年10月15日 – 2016年5月12日)は、日本の演出家、映画監督、俳優。

小さなつぶやきで成り立つ演劇は現在の社会の姿と同じだからインパクトはない。演劇の場所は大きな物語を語ろうとするところにあるのだ。こういう蜷川幸雄の時代に対する強烈なメッセージは、私には小さな物語ではなく大いなる物語を描こう、矮小な計画ではなく遠大な構想を持て、そして閉塞的な状況を突破せよ、と聞こえる。

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