1月22日 常盤新平(作家、翻訳家、アメリカ文化研究者)

臆病になるな、他人の目や陰口にとらわれず、自分のやりたいことに忠実になろう

常盤 新平(ときわ しんぺい、1931年(昭和6年)3月1日 – 2013年(平成25年)1月22日)は、日本の作家、翻訳家であり、アメリカ文化研究者である。

常盤新平の師匠は5歳年上の直木賞作家・山口瞳であった。サラリーマンの生態や心理をよく知った山口瞳の31年1614回続いた「週刊新潮」の連載『男性自身』を、たまたま読んだのがきっかけで出入りするようになった。山口瞳の13回忌を迎える頃書いた『国立の先生 山口瞳を読もう』には、国立に住む師匠の山口瞳への思いがつまっている。文庫本や全集に書いた解説をまとめたものである。
他人の目、他人の口、つまり世間を気にしずぎることをやめて、自分自身の為すべきことを為そう。

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1月21日 村木良彦(メディアプロデューサー)

仕事の面白さというのは、ジョブデザインだ

村木 良彦(むらき よしひこ、1935年11月15日 – 2008年1月21日)は、日本のメディアプロデューサー。

村木良彦のインタビューで強く印象に残ったのは「ジョブデザイン」という言葉だった。ジョブデザインを自分でやれるか、仕事の面白さはジョブデザインにある、そしてTBSから独立して以降は、自分でジョブデザインをやれるから精神的に違うと語っていた。自分でデザインの権利を獲得していく。自分の仕事のデザイナーになる、そして自分の人生のデザイナーになる、私がそれを強く意識したのはその頃からだった。

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1月20日 柴田トヨ(詩人)

人にやさしくする。そして、やさしくしてもらったら忘れない。これが百年の人生で学んだことです

柴田 トヨ(しばた トヨ、1911年(明治44年)6月26日 – 2013年(平成25年)1月20日)は、日本の詩人。

「あふれるような気持ちを詩にして、人生の終わりに花を咲かせることができました」。人生の最後に大きな花を咲かせた柴田トヨは、百年の人生で培ったやさしい心を、やさしい言葉で語り多くの人を励ました。

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1月19日 大鵬幸喜(大相撲力士、第48代横綱)

横綱が物言いのつく相撲を取ったのが悪い

大鵬 幸喜(たいほう こうき、1940年(昭和15年)5月29日 – 2013年(平成25年)1月19日)は、北海道川上郡弟子屈町川湯温泉(出生地は樺太敷香郡敷香町)出身の大相撲力士。第48代横綱。

46連勝で物言いがついて戸田に負けたビデオをみると明らかに戸田の足が先に出ていて、当時は世紀の大誤審といわれた。しかし大鵬はあれでいいとし、「横綱が物言いのつく相撲を取ったのが悪い」とコメントしている。相撲道を信じて歩き、それを具現した横綱であった。相撲は豊作を願って神前で行う祭祀であり、相撲社会の伝統は守らなければならない。現在の揺れる角界も大鵬の相撲道の精神を絶やさずに繁栄を続けることを願う。

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1月18日 岩見隆夫(ジャーナリスト、政治評論家)

晩年は、毎春、サクラ前線に合わせて、主として徒歩で日本列島を北上、ついで夏祭りをたどりながら南下、各地の銘酒を訪ね歩いた

岩見 隆夫(いわみ たかお、1935年10月6日 – 2014年1月18日)は、日本のジャーナリスト、政治評論家。

テレビ「みのもんたのサタデーずばッと」では毎週出演して政治評論を行う姿はよく見かけたのだが、サクラ前線を徒歩で追いかけながら、各地の銘酒を訪ね歩くという岩見隆夫の理想の旅は私の年来の希望と似ているので親しみを覚感じる。「沖縄八重岳は1月18日に桜祭り。北海道・宗谷岬公園の桜は5月中旬が見頃。ソメイヨシノは九州から北海道まで4月1日から5月中旬過ぎの二か月足らず。紅葉前線を追って北海道から南下する旅はどうか。私なら、温泉、人物記念館、知研、車、SNSとなるだろうか」と私は2014年のブログで記していた。生前に「私の死亡記事」を書いておくのも悪くない。

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1月17日 小林繁(プロ野球選手、プロ野球コーチ)

人生のバッターボックスに立ったら、見送りの三振だけはするな

小林 繁(こばやし しげる、1952年11月14日 – 2010年1月17日)は、プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。ノンプロを経て、1972年に巨人に入団。1976年、1977年に連続18勝をあげ最優秀投手となり長島巨人の優勝に貢献。

長い人生では勝負する時が何度かある。それはチャンスと危機が同時にみえる時だ。恐怖に負けて見送るか、乾坤一擲の勇気を出して飛び出すか。天に向かうか、谷底に落ちるかは分からない。それが運命の分かれ目になる。
小林繁から学ぶことは、好球を見送って三振を宣言されるようなことはしないで、「思い切りバットを振れ」である。

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1月16日 秋山庄太郎(写真家)

職業は紛れもなく写真家。趣味もまた写真。道楽なんだから始末におえない

秋山 庄太郎(あきやま しょうたろう、1920年(大正9年)6月8日 – 2003年(平成15年)1月16日)は、日本の写真家。

何かにはまる人にもランクがあると梅棹忠夫が言っている。最初は「通」、次は「好き者」、そして「道楽者」と順番にはまり具合が深くなるという見立てである。「花と女」という美しいものの写真にのめり込んだ秋山庄太郎は、自分でも「始末におえない」といっており、「極道」という地点にまで行き着いたのではないか。

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1月15日 大島渚(映画監督、タレント、俳優)

情報もいいでしょう。でも、生の体験は強い

大島 渚(おおしま なぎさ、1932年3月31日 – 2013年1月15日)は、日本の映画監督、タレント、俳優。京大法学部時代には著名な政治学者猪木正道に師事した。京都府学連副委員長として活躍。京大助手試験で不合格となった時、猪木正道からは「君に学者は向きませんよ」と諭された。

「人生というのは、どのくらい無我夢中の時間を過ごせるか、で決まると思う」
「きっぱりノーと言うことは、人生を楽にしてくれる方法なんです」
「今やれることを、今やらなかったら、一生やれないということなんだ」。
冒頭に掲げた「情報と体験」もそうだが、大島渚は意外に人生訓がいい。

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1月14日 和田勉(演出家、映画監督)

同じ役者とはほとんど二度と仕事をしない主義

和田 勉(わだ べん、1930年(昭和5年)6月3日 – 2011年(平成23年)1月14日)は、日本の演出家・映画監督。

ドラマのキャスティングでは一緒に仕事をするのは一回のみというルールを自分に課していた。そのため夏目雅子から抗議を受けている。思うに、狎れることを恐れたのではないか。一作一作、新鮮な気持ちで作品を創っていく真摯な態度がNHKだけでなく、テレビを代表する名演出家を形づくったのだろう。

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1月13日 坂田道太(政治家)

むしろ素人の方がよい

坂田 道太(さかた みちた、1916年7月18日 – 2004年1月13日)は、日本の政治家。
1960年代末の大学紛争の渦中に文部大臣となり、前代未聞の1969年の東大入試中止の決断を下した人物である。

混乱した現場の立直しのために、難しい役職、不案内な仕事をすることになったとき、大事なことは公平率直な目で、偏見を持たずに複雑骨折した問題にあたることである。それを坂田は「むしろ素人の方がよい」と表現したのであろう。専門家集団が苦しんでいるとき、細部からではなく、大づかみで実状を把握し、問題解決にあたっていくことも一つの道である。この坂田道太の考えに共感する。

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