8月3日 岩崎小弥太(実業家、三菱財閥の4代目総帥)

資本家は利潤追求を目的とするが、経営者は利潤追求を越えた目標を持つべきである。それは国家への奉仕と、国民利福の実現と、一人一人の社員の人間としての完成である

岩崎 小弥太(いわさき こやた、1879年(明治12年)8月3日 – 1945年(昭和20年)12月2日)は、日本の実業家で、三菱財閥の4代目総帥。男爵。

「利潤を越えた目標」には、文化興隆のための美術館建設も入っていたのであろう。その考え方の伝統は、2010年に開館した三菱一号館美術の存在にも引き継がれている。

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8月2日 中坊公平(弁護士)

世の中で一番大切なもの、人間にとって最も大切なもの、それは「思い出」ではないか

中坊 公平(なかぼう こうへい、1929年8月2日 – 2013年5月3日)は、日本の弁護士(大阪弁護士会)。元日弁連会長。新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)特別顧問。菊池寛賞受賞者。

この「思い出」とは、「家族と過ごした楽しい思い出。必死になって仕事に打ち込んだ思い出。心を分かち合った友人との思い出。そんな多くの思い出こそが人が生きてきた証であり、最後にやすらかな幸福感をもたらしてくれる」と本人が解説している。中坊公平はこころやさしき人であることがわかる。やはり「平成の鬼平」という名ににふさわしい。

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8月1日 宮本常一(民俗学者、農村指導者、社会教育家)

人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ

宮本 常一(みやもと つねいち、1907年8月1日 – 1981年1月30日)は、日本の民俗学者、農村指導者、社会教育家。

宮本常一は日本を探検した人である。人々の生活誌を書いた。代表作『忘れられた日本人』を宮本は「紙碑」と言っている。石碑ではなく、紙というメディアに書いた碑である。確かに石碑に書かれた内容は時間が経つと風化し読めなくなるが、紙碑に記した内容は永遠に残る。本を書くという仕事は、紙の碑を残すという業なのだ。宮本常一の志の高さをみる思いがする。

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7月31日 小谷正一(イベントプロデューサー)

いつだって時代は過渡期だし、キャンパスは真っ白なんだよ

小谷 正一(こたに まさかず、1912年7月31日 – 1992年8月8日)は、日本のイベントプロデューサー。

小谷正一は「年越しの名刺を持たない男」といわれたように、一つの仕事を成し遂げると未練なく次の会社で仕事に取り組むというスタイルを貫いた人だ。
時代の過渡期に巡り会って縦横に仕事ができた幸運をうらやましがった後輩に向けて語ったのが冒頭の言葉である。そう、いつだって時代は曲がり角にあるし、いつだって過渡期なのだ。遅れてきた青年などはいない。真白いキャンパスに自由に絵を描こう。

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7月30日 ヘンリー・フォード(企業家)

年寄りは若い時に貯金をしろと言うが、それは間違っている。最後の一銭まで貯めようと考えたらいけない。自分に投資しなさい。私は40歳になるまで、1ドルたりとも貯金したことがない

ヘンリー・フォード(Henry Ford 、1863年7月30日 – 1947年4月7日)は、アメリカ合衆国出身の企業家、自動車会社フォード・モーターの創設者であり、工業製品の製造におけるライン生産方式による大量生産技術開発の後援者である。

まず自前の投資金を手にせよ、とする教訓を言う先達もあるが、私は「貯金をするな、自己に投資せよ」というこのフォードの言葉にわが意を得たという感じを持つ。フォードであったか定かではないが、同じ思想の影響を受けて、小金を貯めずに30歳くらいまでは自分が伸びるために可処分所得を注ぎ込もうとしていた。今となってみると、それでよかったと思う。年寄りのアドバイスは聞いてはいけない。

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7月29日 重光葵(外交官、政治家)

願わくは御国の末の栄え行き 我が名さけすむ人の多きを

重光 葵(しげみつ まもる、1887年(明治20年)7月29日 – 1957年(昭和32年)1月26日)は、第二次世界大戦期の、日本の外交官・政治家である。

マッカーサーのサインの後には、米国、中国、英国、ソ連、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランドの各代表のサインがみえる。2番目は中国だった。あの戦争は太平洋戦争でもあったが、大東亜戦争でもあったのだ。真珠湾攻撃より10年前の1931年には満州事変が起こっていた。日本は中国にも負けたのである。
屈辱的な歴史的役割を果たした重光葵は「願くは 御國の末の 栄え行き 我が名さけすむ 人の多きを 」と詠んだ。その志の高さに感動を覚える。

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7月28日 大原孫三郎(実業家)

仕事は三割の賛同者があれば着手すべきだ。五割も賛成者がいればもう手遅れだよ

大原 孫三郎(おおはら まごさぶろう、1880年7月28日 – 1943年1月18日)は日本の実業家。倉敷紡績(クラボウ)、倉敷絹織(現在のクラレ)、倉敷毛織、中国合同銀行(中国銀行の前身)、中国水力電気会社(中国電力の前身)の社長を務め、大原財閥を築き上げる。

『わしの眼は十年先が見える』という著書もある大原孫三郎は十年先どころか、百年先のフィランソロピーの登場を見ていたのではないかと生涯を眺めると思えてくる。彼が言うように仲間の半分が賛成するような施策はすでに手遅れであろう。未来へ向けての決断がテーマである経営は、多数決で行っては断じてならない。

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7月27日 高橋是清(武士、官僚、政治家)

その職務は運命によって授かったものと観念し精神をこめ誠心誠意をもってその職務に向かって奮戦激闘しなければならぬ。いやいやながら従事するようでは到底成功するものではない。その職務と同化し一生懸命に真剣になって奮闘努力することではじめてそこに輝ける成功を望み得るのである

高橋 是清(たかはし これきよ、嘉永7年閏7月27日(1854年9月19日) – 昭和11年(1936年)2月26日)は、日本の幕末の武士(仙台藩士)、明治、大正、昭和時代初期の官僚、政治家。立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣。

高橋是清は若い頃にアメリカに渉っている。学費や渡航費用の着服、ホームステイ先の両親にだまされ、奴隷同然の生活を送っている苦労人である。この間に習得した英語が身を助けた。その高橋是清は、職務は運命として観念して奮戦激闘せよと言う。その心構えが高橋自身を大きくし、日銀副総裁として日露戦争という国難を救い、また金融恐慌、世界恐慌、を沈静化させるなど6度の大蔵大臣を担当し、2・26事件で斃れるまで長く国難にあたった。常に「運命」と観念して奮闘する姿が目に見るようだ。

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7月26日 バーナード・ショー(文学者、脚本家、評論家、政治家)

こう半分しか残っていないと嘆くのが悲観主義者、まだ半分残っていると喜ぶのが楽観主義者である

バーナード・ショー(1856年7月26日ー1950年11月2日)はアイルランドの文学者、脚本家、劇作家、評論家、政治家、教育家、ジャーナリスト。

悲観主義者と楽観主義者の生態をこれほど上手に説明した警句にはお目にかかったことはない。主義とは思うに、性格による。

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7月25日 中村ひろ子(ピアニスト)

ピアニストはバレリーナや体操選手と同じ筋肉労働者でもあるんです

中村 紘子(なかむら ひろこ、1944年7月25日 – 2016年7月26日)は、日本のピアニスト。
安宅コレクションで有名な安宅英一の奨学金をもらうのだが、当時15歳の中村ひろこは「骨董趣味って、いやらしい」という名言を吐いていた。

中村ひろ子の演奏を聴いたとき、太い腕で弾く迫力に驚いたことがある。ピアニストをピッチャー、バレリーナ、体操選手、ボクサーに例えていたとは意外だった。今思えば、本人が言うように確かにピアニストは肉体労働者でもある。精神と肉体、感受性と超技巧、、。体操の平均台の上の狭い道を、微妙なバランスを保ちながら歩いているような人生だったのだ。

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