4月25日 西本幸雄(プロ野球選手、監督、野球解説者、野球評論家)

いわしも大群となると力が出る。みんなが心底から力を合わせることによって、何かが可能になるんや

西本 幸雄(にしもと ゆきお、1920年4月25日 – 2011年11月25日)は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(内野手)、コーチ・監督、野球解説者、野球評論家。

鰯(いわし)という字は、魚偏に弱いと書く。弱い鰯も烏合の衆ではなく、優れたリーダーが情熱を持ち精魂を傾けることによって、生命を持った有機体としてのまとまりになっていき、それが奇跡を起こす。その創造の秘密をこの名将は知っていたに違いない。「何か」が可能になる。その何かは想像を超えるものかもしれない。

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4月24日 山本為三郎(実業家)

その人になりきってしまって、その人が怒るときには私も怒り、その人が泣くときは私もまた泣いて、ものを考えているのである

山本 為三郎(やまもと ためさぶろう、1893年(明治26)4月24日 – 1966年(昭和41)2月4日)は、実業家。大阪市中央区船場生まれ。朝日麦酒(現、アサヒビール)初代社長。新大阪ホテル、大阪ロイヤルホテルを設立。「ビール王」、「ホテル王」と呼ばれた。

この言葉には「ただ、その人と私の違いは、私には感情や憎悪や利害関係がないということで、そういったものを取り除いて考えると、大抵のことはスムーズに解決できるものだ」が続く。同じ感情を抱きながら、冷静な理性で物事を解決していく山本は多くの人から信頼されたに違いない。その一つの精華がこの美術館だ。

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4月23日 上村松園(日本画家)

一途に、努力精進をしている人にのみ、天の啓示は降るのであります

上村 松園(うえむら しょうえん、1875年(明治8年)4月23日 – 1949年(昭和24年)8月27日)は、日本画家。女性の目を通して「美人画」を描いた。1948年(昭和23年)女性として初めて文化勲章を受章。子の上村松篁、孫の上村淳之と三代続く日本画家である。作品に『母子』『序の舞』『晩秋』など。著作に『青眉抄』。

「生命は惜しくはないが描かねばならぬ数十点の大作を完成させる必要上、私はどうしても長寿をかさねてこの棲霞軒に籠城する覚悟でいる。生きかわり何代も芸術家に生まれ来て今生で研究の出来なかったものをうんと研究する、こんなゆめさえもっているのである。ねがわくば美の神の私に余齢を長くまもらせ給わんことを!」

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4月22日 富田勲(作曲家、編曲家、シンセサイザー奏者)

いつも『これが最後』と思って曲を書いているんです。、、、子どもの心を忘れず、常に『今』に夢中でいたいですから

冨田 勲(とみた いさお、1932年4月22日 – 2016年5月5日)は、日本の作曲家、編曲家、シンセサイザー奏者。

富田勲は、地球を相手に、そして宇宙を相手に、次々と音楽の世界の最先端を切り拓いた。「子どもの心」で「最後」と思って、「今」を燃焼させた見事な人生だ。あの素晴らしい音楽とやさしい言葉が甦ってくる。

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4月21日 三船久蔵(柔道家)

小さいから大を倒せる。そこに日本武道としての柔道の意義がある

三船 久蔵(みふね きゅうぞう、1883年(明治16年)4月21日 – 1965年(昭和40年)1月27日)は、日本の柔道家。段位は講道館柔道十段、最高位。

「柔よく剛を制す」という言葉もそうだが、日本柔道の本質は「小よく大を倒す」にある。技の工夫、技術の差で、大がらの体格者を凌駕する。これは縮み志向の日本のDNAでもある。

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4月20日 栄西(僧)

天地は我れを待って覆載し、日月は我れを待って運行し、四時は我れを待って変化し、万物は我れを待って発生す、大なる哉心や

明菴栄西(みょうあん えいさい/ようさい、永治元年4月20日(1141年5月27日) – 建保3年7月5日(1215年8月1日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧。臨済宗の開祖、建仁寺の開山。天台密教葉上流の流祖。

人間の心は世界よりも広く、歴史よりも大きい。その心は小さな肉体の脳の中に存在する。栄西が800年以上前に喝破したように、心は不思議な世界だ。場所も形もあきらかではなく、機能もよくわからない。心、精神、意識の存在の秘密は、いなまお解けていない。

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4月19日 西田幾多郎(哲学者)

世界を見ようとする時、世界もこちらを見ています。『井戸』をのぞくと『井戸』もあなたをみています

西田 幾多郎(にしだ きたろう、明治3年4月19日(1870年5月19日) – 1945年6月7日)は、日本を代表する哲学者。京都大学教授、名誉教授。京都学派の創始者。出世作であり、代表作は『善の研究』。

西田の歌を二つピックアップしてみる。「人は人、吾は吾なり とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」「愛宕山 入る日のごとく あかあかと 燃やし尽くさん 残れる命」。この二つの歌は、井戸をのぞくと井戸も自分を見ているという言葉に代表される哲学の創始者たらんとする決意と意欲に充ち満ちている。思索者の心は熱い。

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4月18日 中山みき(宗教家、天理教教祖)

難儀は節だ、節から芽がでる

中山 みき(なかやま みき、寛政10年4月18日(1798年6月2日) – 明治20年(1887年)2月18日)は、日本の宗教家、天理教教祖。

木は節(ふし)から芽が出て花が咲く。人生の諸処であらわれる困難や挫折などを「節」と捉えよう。そこから花を咲かせよう。いわゆる節目だ。苦労は人を鍛えてくれる。

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4月17日 フルシチョフ(政治家、ソビエト連邦最高指導者)

人生は短い。大いに楽しめ

ニキータ・セルゲーエヴィチ・フルシチョフ(1894年4月17日 – 1971年9月11日)は、ソビエト連邦の政治家、同国の第4代最高指導者。ソビエト連邦共産党中央委員会第一書記と閣僚会議議長(首相)を兼務した。民族的にはウクライナ人。

クーデターで地位を追われたあとは7年間の年金生活に入るのだが、回想記の執筆を巡って政権と緊張を生むなど、晩年も騒動を起こしている。冒頭の言葉のとおり、フルシチョフは人生を大いに楽しんだのだろうか。『フルシチョフ回想記』を読んでみたい。

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4月16日 坂上二郎(コメディアン、俳優、歌手)

夢は諦めたら消えちゃう。だから諦めたらいけない

坂上 二郎(さかがみ じろう、1934年4月16日 – 2011年3月10日)、は、日本のコメディアン、俳優、歌手。通称「二郎さん」。

一世を風靡したコント55号。萩本欽一は台本を無視して無理難題をふっかけるが、坂上はそれをすべてクリヤーし笑いを誘う。その芸は見事だった。最高の受け役だった。坂上二郎さんは、歌手を目指して上京し、さまざまな職業を経験、キャバレーの営業等で食いつないでいた。1966年にコント55号でようやく表舞台に立った。その二郎さんがいう「夢」の言葉には説得力がある。

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