4月15日 山本丘人(日本画家)

個性を生かしぬく人。それを深く掘り下げて行く人は、何よりも立派である

山本 丘人(やまもと きゅうじん、1900年(明治33年)4月15日 – 1986年(昭和61年)2月10日)は、日本画家。文化勲章受章者。
東京美術学校卒業。その後松岡映丘に師事。1944年(昭和19年)東京芸術大学助教授、1947年(昭和22年)女子美術専門学校(現女子美術大学)教授に就任、多数の後進を育てる。

箱根の成川美術館は成川實が20年間に日本画を4000点集めた美術品を展示する美術館であるが、山本丘人の絵は200点ある。そこで開催された「山本丘人と堀文子」展を見た。二人とも「同じものは描かない」が信念だ。丘人は表現の方法を新しく模索して、その作品は自らの心象風景として昇華していく。個性を強く、深く掘り下げて、優れた人格にまで結晶させた山本丘人。それは今なお健在の弟子・堀文子の評でもうかがい知れる。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

4月14日 トインビー(歴史学者)

国家の衰亡につながる一番厄介な要因は、自分で自分の事を決めることができなくなったときだ

アーノルド・トインビー(1889年4月14日—1975年10月22日)は、イギリスの歴史学者。主著は『歴史の研究』全25巻、『試練に立つ文明』。

やはり、偉大な歴史学者トインビーの文明、国家、社会に関する叡智にあふれた洞察は響く。挫折の原因は外部環境ではない。内部の不和と分裂なのだ。「自分で自分の事を決めることができない」ときに、人間集団で構成される組織は衰亡する。その極点が国家であり、そして国家群が織りなす文明である。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

4月13日 吉行淳之介(小説家)

私は自分の持病と一生連れ添う覚悟を決めています。できるだけ病気を飼い慣らしておとなしくさせるという方針を立てました

吉行 淳之介(よしゆき じゅんのすけ、1924年(大正13年)4月13日 – 1994年(平成6年)7月26日)は、日本の小説家。代表作に『驟雨』『砂の上の植物群』など。対談やエッセイの名手としても知られた。

そして「持病というものは飼い馴らして趣味にするより仕方がない」と病弱の運命を悟った言葉も遺している。吉行は病気の宝庫だった。アトピー、喘息、腸チフス、結核、躁と鬱、白内障、乾癬、肝炎、、、。病気と闘い、入退院を繰り返しながら、膨大な作品を描いた。よく70歳まで生きたという感じもする。怒涛の仕事量をこなしきれたのは「病気を飼い慣らす」ことを上手に成し遂げたからだろう。この決意と実行は大したものだ。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

4月12日 頭山満(アジア主義者、玄洋社総帥)

人間は火のついた線香じゃ。それに気がつけば誰でも何時かは発憤する気になるじゃろう。老若誠に一瞬の間じゃ、気を許すな

頭山 満(とうやま みつる、安政2年4月12日(1855年5月27日) – 昭和19年(1944年)10月5日、幼名:乙次郎)は、明治から昭和前期にかけて活動したアジア主義者の巨頭。玄洋社総帥でもある。

火のついた線香である人間は、時限爆弾を抱えながら生きていることになる。時々刻々とその日は迫りつつある。この短い期間に気を許して時間を無駄にするな、発憤せよ、それが頭山の気概に満ちた言だ。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

4月11日 小林秀雄(文芸評論家、編集者、作家)

「人はその性格に合った事件にしか出遭わない」

小林 秀雄(こばやし ひでお、1902年(明治35年)4月11日 – 1983年(昭和58年)3月1日)は、日本の文芸評論家、編集者、作家。

私たちは事件に遭遇する。この事件とは外から襲ってくるものではない。自分が、自分の性格が招くものである。小林秀雄のいう「性格論」は腑に落ちる。あるとき、この言葉を読んで苦笑しながら来し方を振り返って深く納得した。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

4月10日 永六輔(タレント、随筆家、放送作家、作詞家)

人と一時間話をすれば、厚い本を一冊読んだのと同じくらい何かを得るものだ

永 六輔(えい ろくすけ、1933年4月10日 – 2016年7月7日)は、日本のラジオ番組パーソナリティ、タレント、随筆家。元放送作家、作詞家である。

永六輔『大往生は』戦後の岩波新書の売上げトップに立ったことで驚いたことがある。確かに人生の機微を普通の言葉で表現する天才だった。人と話をすることで得るものは実に大きい。読書と読人で行こうか。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

4月9日 野間省一(出版人、実業家)

もっぱら万人の魂に生ずる初発的かつ根本的な問題をとらえ、掘り起こし、手引きし、しかも最新の知識への展望を万人に確立させる書物を、新しく世の中に送り出したいと念願しています

野間 省一(のま しょういち、1911年4月9日 – 1984年8月10日)は、日本の出版人、実業家。講談社第4代社長。日本書籍出版協会会長。出版文化国際交流会会長。日本雑誌広告協会会長。

最新知識を万人が理解できるようにやさしく解説するという文庫や新書の創刊は、志の高い事業であり、かつ難事業である。一部の専門家の専有物を公開しようとする知識の民主化は庶民の知識向上を創業の理念とする講談社にふさわしい企画だった。今もその恩恵に多くの人があずかっている。出版はまさに教育事業である。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

4月8日 福原有信(資生堂の創業者)

随所作主(随所に主となる)

福原 有信(ふくはら ありのぶ、嘉永元年4月8日(1848年5月10日) – 大正13年(1924年)3月30日)は、第3代日本薬剤師会会長であり、1872年に資生堂の前身である調剤薬局を銀座に開き、1897年には化粧品を発売した、資生堂の創業者である。

「随所作主」(随所に主となる)を信条とした福原は、新商品の化粧品の分野に50歳で挑戦を開始する。これが現在の資生堂につながっていく。福原有信は、医学、薬学、化粧品というように自分の進むべき道を選びとり、大きく育てる基礎を築き、この分野の主となった。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

4月7日 フランシスコ・ザビエル(カトリック教会の司祭、宣教師)

熟した実は多くとも、それをもぎ取る人間が少なすぎる

フランシスコ・デ・ザビエル(スペイン語: Francisco de Xavier または Francisco de Jasso y Azpilicueta, 1506年頃4月7日 – 1552年12月3日)は、スペインのナバラ王国生まれのカトリック教会の司祭、宣教師。イエズス会の創設メンバーの1人。

冒頭に掲げたザビエルの言葉は、教えを受ける者は多いが、教えを施す者はあまりにも少ないことを指摘したものだ。教えを受ける、勉強するだけでなく、教えを施す側になろう。そのためには精進が必要だ。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

4月6日 ラファエロ(画家、建築家)

我らの時代こそ、かつて最も偉大だった古代ギリシャの時代と肩を並べるほど素晴らしい時代なのだ

ラファエロ・サンティ(伊: Raffaello Santi、 1483年4月6日 – 1520年4月6日)は、盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家、建築家。

ラファエロの言う「我らが時代」は、美術界ではダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ボッティチェリ、アルンチンボンドら。文学のダンテ、ボッカチオ、思想のマキャベリ、そして商業のロレンツォ・デ・メディチら、絢爛豪華な才能が輩出したルネッサンスの時代だった。多彩な才能たちが刺激しあたって伝説の古代ローマに匹敵する時代だと高揚した一人がラファエロだった。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB