2月15日 三浦敬三(プロスキーヤー)

好きなことだけ自然体で続ける

三浦 敬三(みうら けいぞう、1904年(明治37年)2月15日 – 2006年(平成18年)1月5日)は、日本のプロスキーヤー。享年101。

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2月14日 小林正樹(映画監督)

将来の事は東京の地を踏んでから、ただただ先生の学規にそくした生活に一生をささげる覚悟で居ります

小林 正樹(こばやし まさき、1916年2月14日 – 1996年10月4日)は日本の映画監督。
31歳から木下恵介監督について助監督をつとめる。1952年、36歳で『息子の青春』で監督デビュー。

小林正樹は若くして私淑する師の至言に影響を受け、その精神をまもり、自己を表現する映画監督という仕事にそれを活かし、毎日を新たな気持ちで過ごしたのであろう。

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2月13日 河合栄治郎(社会思想家、経済学者)

職業にあるものは多かれ少なかれ、分業の害悪をなめねばならない。彼は一生を通じて細かに切り刻まれた仕事に没頭して、一部分としてしか成長し得ない危険に瀕する

河合 栄治郎(かわい えいじろう、1891年2月13日 – 1944年2月15日)は、日本の社会思想家、経済学者。第二次世界大戦前夜における、著名な自由主義知識人の一人。

理想主義者、人格主義者、教養主義者にして自由主義者であった河合は戦後忘れられたが、その河合は分業による職業生活の危険性を語っている。分業とは専門化のことである。全体的視野の喪失を指摘している。現代社会での分業化は避けられないが、専門を持った上で、全体観を常に意識することが重要であろう。

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2月12日 田辺茂一(出版事業家、文化人)

自分にしか歩けない道を自分で探しながらマイペースで歩け

田辺 茂一(たなべ もいち 本名の読みは、しげいち、1905年2月12日 – 1981年12月11日)は、東京府出身の出版事業家、文化人。紀伊國屋書店創業者。

冒頭の言葉では、「マイペースで歩け」が気に入っている。足早に追い抜いてくライバルと無闇に競争せずに、自分の領域をじっくり時間をかけて歩いていけばいいんだよ、と田辺茂一は教えてくれる。

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2月11日 エジソン(発明家、起業家)

私は一日たりとも、いわゆる労働などしたことがない。何をやっても楽しくてたまらないから

トーマス・アルバ・エジソン(英語: Thomas Alva Edison, 英語発音: [ˈtɑməs ˈælvə ˈedəs(ə)n](トマス・アルヴァ・エディスン)、 1847年2月11日 – 1931年10月18日)は、アメリカ合衆国の発明家、起業家。

「自分は毎日、18時間働くことにしている」というエジソンは、労働をしなかった。全ての時間が楽しみだった。そして「困るということは、次の新しい世界を発見する扉である」といったエジソンは常に新しい世界の扉を開いていった。「1%のひらめきと99%の汗」で天才エジソンがつくられたのである。

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2月10日 田河水泡(漫画家、落語作家)

見栄をはらずに、自分には自分なりの力があることを自覚しましょう。それが真理なのです

田河 水泡(たがわ すいほう、1899年(明治32年)2月10日 – 1989年(平成元年)12月12日)は、日本の漫画家、落語作家。昭和初期の子供漫画を代表する漫画家であり、代表作『のらくろ』ではキャラクター人気が大人社会にも波及し、鉛筆、弁当箱、帽子、靴などさまざまなキャラクターグッズが作られるなど社会現象となるほどの人気を獲得した。手塚治虫に始まるストーリー漫画の先駆者である。

自分の身の丈にしっくり合った主人公「のらくろ」を創りだしたから、50年続いた超長寿作品になったのだろう。見栄をはらずに、自分なりの仕事をした。その結果、オタマジャクシが蛙になったのである。見事な人生というべきだろう。

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2月9日 双葉山(大相撲力士)

稽古は本場所のごとく、本場所は稽古のごとく

双葉山 定次(ふたばやま さだじ、1912年2月9日 – 1968年12月16日)は、大分県宇佐郡天津村布津部(現:大分県宇佐市下庄)出身の元大相撲力士。第35代横綱。

双葉山はの立ち合いは、相手が立てば自分も立つというものであった。そしてその立ち合いは「後手の先」と呼ばれた。先に相手が立つが、それより先に自分の形にしてしまうという意味である。これが本当の横綱相撲だろう。本番のごとく稽古し、本番は平常心で稽古のように取る。大横綱のこの教訓は、あらゆる人に当てはまる。

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2月8日 伊藤若冲(画家)

具眼の士を千年待つ

伊藤 若冲(いとう じゃくちゅう、正徳6年2月8日(1716年3月1日) – 寛政12年9月10日(1800年10月27日))は、近世日本の画家の一人。江戸時代中期の京にて活躍した絵師。写実と想像を巧みに融合させた「奇想の画家」として曾我蕭白、長沢芦雪と並び称せられる。

この若冲は生前はさほど評価されてはいなかったが、千年のスケールでは自分の絵を正しく評価する人が現れると自負していたのだ。どうもその予言は当たったようである。

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2月7日 高崎達之助(政治家・実業家)

競争者が多くいることはいいことだ。自分がどんなに勉強しているか本当に批評してくれるのは、競争者以外にはない

高碕 達之助(たかさき たつのすけ、1885年2月7日 – 1964年2月24日)は、日本の政治家・実業家。満州重工業開発株式会社総裁、電源開発初代総裁、通商産業大臣、初代経済企画庁長官などを歴任した。

通常の会話では競争相手のことをライバルというが、本来の意味は同等もしくはそれ以上の実力を持つ競争相手の事だ。日本語では好敵手という意味合いである。実力が明らかに上の人はさらに上の人物をライバル視する。この言葉は少し下の人が少し上の人を意識する言葉のようだ。さて、日中のLT貿易で名前が残っている高崎達之助の冒頭の言葉は、競争者を歓迎する言葉だ。確かに自分の実力を本当に知ってくれるのは、同じ分野でしのぎを削る競争者である。

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2月6日 岩佐凱実(実業家、銀行家)

人間、『運鈍根』と言われるが、三つのうちどれが大切かと言われたら、それはやっぱり『根』だろう。運が開かれることも必要だが、それを深め、広げるのは『鈍』であり『根』。真打ちは『根』だ

岩佐 凱実(いわさ よしざね、1906年2月6日 – 2001年10月14日)は、日本の実業家、銀行家。経済同友会代表幹事、安田銀行常務、富士銀行頭取、経団連副会長。(財)日本心臓財団会長。

「運・鈍・根」という言葉はよく知られいるが、この3つの関係を語ったのが岩佐の慧眼である。生涯に誰にも訪れる「運」をつかむことができるか。次にその運を生かすためには、「鈍」つまり打たれ強さが要る。ここまではなんとかできるかも知れないが、最後の「根」がなかなか続かない。根は粘り強さと理解したい。岩佐はこの関係を解きほぐしてくれた。

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