2月5日 尾崎士郎(小説家)

あれもいい、これもいいという生き方はどこにもねえや。あっちがよけりゃこっちが悪いに決まっているのだから、これだと思ったときに盲滅法に進まなけりゃ嘘です

尾崎 士郎(おざき しろう、1898年(明治31年)2月5日 – 1964年(昭和39年)2月19日)は、日本の小説家。

数多くの著名な男たちと浮名を流した宇野千代が、その男たちの中で最高だと折り紙をつけたのが尾崎士郎だった。その魅力は右顧左眄せずに盲滅法に一直線に向かっていく迫力にあったのではないだろうか。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

2月4日 井上円了(仏教哲学者、教育者)

諸学の基礎は哲学にあり

井上 円了(いのうえ えんりょう、安政5年2月4日(1858年3月18日) – 大正8年(1919年)6月6日)は、仏教哲学者、教育者。

哲学というと難解な近寄りがたい感じがするが、先入観や偏見にとらわれることなく、物事の本質に迫ることであり、また自らの問題として深く考えることだろう。その延長線上に社会の問題・課題に主体的に取り組む行為が出てくる。哲学することなしに、つまり自らの問題として本質に迫ることなしに、学問は成り立たない。だから、諸学の基礎は哲学なのだ。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

2月3日 田辺元(哲学者)

懺悔とは、私の為せる所の過てるを悔い、その償ひ難き罪を身に負ひて悩み、自らの無力不能を慚ぢ、絶望的に自らを抛ち棄てる事を意味する

田辺 元(たなべ はじめ、1885年2月3日 – 1962年4月29日)は、日本の哲学者。西田幾多郎とともに京都学派を代表する思想家。元京都大学教授、京都大学名誉教授。1947年帝国学士院会員、1950年文化勲章受章。

戦争を煽った有力者の中で、文学の高村光太郎は岩手の山荘で懺悔の厳しい生活を送ったし、徳富蘇峰も隠遁したが、その心境は同じく思想面で国家主義を推進した田辺元のこの厳しい懺悔の言葉と同じであったろう。田辺も軽井沢で隠遁生活を送るのだが、「日本民主主義」を提唱するなど、その思想は進化していったようである。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

2月2日 菅茶山(儒学者・漢詩人)

雪は山堂を擁して 樹影深し 檐鈴動かず 夜沈沈 閑かに乱帙を収めて疑義を思えば 一穂の青灯 万古の心

菅 茶山(かん ちゃざん(さざん)、延享5年2月2日(1748年2月29日)- 文政10年8月13日(1827年10月3日))は、江戸時代後期の儒学者・漢詩人。藩校弘道館教授、藩校誠之館教授。備後国安那郡川北村(現広島県福山市神辺町)の出身。

茶山は謙虚で礼儀正しい人で、さまざまの分野の人と交わった。菅茶山の詩は有名で、平淡な作風は当時の詩壇に大きな影響を与えた。その漢詩の一つが冒頭に掲げた詩である。しんしんと降る雪の中の書斎で書物を読み込み、腑に落ちない部分を改めて考えてみると、部屋の灯りを通して先人の姿と心が見えてくる。書物を読む楽しみを静かにうたっていて、心に沁みる詩である。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

2月1日 沢村栄治(プロ野球選手)

どんな球でも一投、これすべて創造だと思います。この球は自分にとってはじめて投げる球だと思うと、なんともいえぬ感動が胸にこみ上げ投球に熱がはいりました

沢村 栄治(さわむら えいじ、旧字体:澤村 榮治、1917年2月1日 – 1944年12月2日)は、三重県出身のプロ野球選手(投手)。日本プロ野球史上に残る伝説の選手の一人でもあり、戦前のプロ野球界でさまざまな記録を打ち立てた。

一球一球が「創造」であり、その一球を投げることに沢村は感動している。沢村賞を取り上げるときには、このような沢村の言葉や、沢村と戦争の関係などの情報も知らせて欲しいものだ。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

1月31日 ジャッキー・ロビンソン(プロ野球選手)

一流になれ、そうすればものが言える

ジャック・ルーズベルト・ロビンソン(Jack Roosevelt “Jackie” Robinson, 1919年1月31日 – 1972年10月24日)は、アメリカ合衆国のプロ野球選手(内野手)。1890年頃以降、有色人種排除の方針が確立されていたMLBで、アフリカ系アメリカ人選手としてデビューし活躍。

ロビンソンは有色人種のメジャーリーグ参加の道を開いた。その道のりは苦難をきわめた。しかし敵を実績と人柄で黙らせて尊敬を勝ち取って一流の人物になっていく。ものがいえる、ということは人が意見を聞いてくれるということである。人に影響を与える。それが高い価値のある人生なのだ。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

1月30日 鳥井信治郎(実業家、サントリー創業者)

なんでもやってみなはれ。やらなわからしまへんで

鳥井 信治郎(とりい しんじろう、1879年1月30日 – 1962年2月20日)は、日本の実業家、サントリー(現サントリーホールディングス株式会社)の創業者である。

トップの仕事は後継者に心得を語ることではない。イノベーションこそが企業や組織の成長の源であるから、その種が内部から出てくるようにしかけをつくることがトップの役割だ。自由闊達な風土がアイデを産む。議論と評価から始めるではなく、まずやってみる、やらせてみることから始めよう。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

1月29日 大賀典雄(実業家、指揮者、声楽家)

私がソニーに入って、得をしたのはソニーです

大賀 典雄(おおが のりお、1930年1月29日 – 2011年4月23日)は、日本の実業家、指揮者、声楽家。
CBS・ソニーレコード株式会社社長(初代)、ソニー商事株式会社社長、東京商工会議所副会頭、ソニー株式会社社長・最高経営責任者(初代)、社団法人経済団体連合会副会長などを歴任した。

この「私がソニーに入って、得をしたのはソニーです」の後には、「私は声楽家としてその名声を確立するかわり、ソニーで芸術面からソニーの製品に磨きを掛けた。それによりソニーのブランドが確立できた」が続く。ウィンウィンの関係ではあったが、ソニーのブランド確立がより効果が大だったのだろう。こういう刺激的な言葉を、自信を持って言えることは凄いことだ。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

1月28日 西堀栄三郎(登山家、無機化学者、技術者)

石橋は叩けば渡れない

西堀 栄三郎(にしぼり えいざぶろう、1903年(明治36年)1月28日 – 1989年(平成元年)4月13日)は、日本の登山家、無機化学者、技術者。

「石橋を叩いて渡れ」は用心に用心を重ねよという意味である。「石橋を叩いても渡らない」は慎重すぎて結局実行しない人を揶揄する言葉である。また「石橋を叩いて壊す」は用心深く成りすぎて失敗する意味で使う。西堀栄三郎は、そういう慎重居士に対して強固で崩れるはずのない石橋を叩いて安全性を確かめるようなことをしておったのでは、独創は生まれないと1999年に刊行された『石橋を叩けば渡れない』(生産性出版)で喝破して、世間の度肝を抜いた。この本は2010年現在で9刷りとなるベストセラーとなった。私も西堀の創造的生き方を記したこの本をわくわくしながら読んだ記憶がある。「 キノコはせ千人の股をくぐる」・性格は変えられないが、能力は変えられる」「目的は絶対、手段は自由」「統率は教育と同義語である」「育てるということは、「成功」の味をしめさせ、「失敗」に学ばせることです」「専門のないのが私の専門です」。以上、6つの言葉を書き抜いて紹介してみたが、西堀栄三郎の探検精神に深く感じ入る。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

1月27日 モーツアルト(音楽家)

私は生涯で一度も、独創的なメロディーを作ったことがない

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756年1月27日 – 1791年12月5日)はオーストリアの音楽家である。古典派音楽の代表であり、ハイドン、ベートーヴェンと並んでウィーン古典派三大巨匠の一人である。

「オリジナルな曲を書こうなんて、これっぽっちも考えたことはない」「みなさんが私に認めてくれる才能は、あるお守りのおかげだと思っています。そのお守り、それは勉強です」ともいうモーツアルトの言葉は「独創」とは何かを考えさせる。まったくの独創、オリジナルは存在しない。大天才・モーツアルトにしてこの言葉なのだ。過去の人々の積み上げの上に、勉強してさらに少し積み上げることを独創というのだろう。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB