10月12日 馬越恭平(実業家)

元気、勇気、長生き、腹のおちつき

馬越 恭平(まこし きょうへい、天保15年10月12日(1844年11月21日) – 昭和8年(1933年)4月20日)は、日本の実業家。三井物産に勤務し、大日本麦酒(日本麦酒、朝日麦酒、札幌麦酒の合併会社)の社長を務めた人物。大日本麦酒の大合同合併を画策し、「日本のビール王」とよばれた。

馬越のモットーは、四つあった。信仰心を養うこと。平常、心を若くし、老成を気取らず、愉快に活動すべし。心配すべし、心痛すべからず。四気(元気、勇気、長生き、腹のおちつき)が原点である。この四気を心掛けて、取り組む事業をことごとく成功させた豪快な人生だった。元気、勇気、長生きはわかるが、「腹のおちつき」とは何か。フラフラせずに、腹を据えて、目前の課題に邁進する気概のことではないだろうか。

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10月11日 榎本健一(俳優、歌手、コメディアン)

喜劇を演ろうと思ってやっても、喜劇にはならないよ

榎本 健一(えのもと けんいち、1904年10月11日 – 1970年1月7日)は、日本の俳優、歌手、コメディアンである。当初は浅草を拠点としていたが、エノケンの愛称で広く全国に知られていった。「日本の喜劇王」とも呼ばれ、第二次世界大戦期前後の日本で活躍した。

飛んだり、ハネ足り、スベッタリ、転んだり、人の頭を叩いて笑わせるのは本物ではない。喜劇はまともな芝居である。まともな芝居の中から、自然に笑いが湧いてくる。それが本当の喜劇である。これがエノケンの喜劇観である。最後の言葉は「ドラが鳴ってるよ、早くいかなきゃ」だったという。

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10月10日 清河八郎(幕末の志士)

回天

清河 八郎(きよかわ はちろう、天保元年10月10日(1830年11月24日) – 文久3年4月13日(1863年5月30日))は、江戸時代末期(幕末)の庄内藩出身の志士。

弛み衰えた勢いを盛り返す、時勢を一変させる。そしてすべてが改まって新しくなる。吉田松陰と同い年で、自身の名前に歴史と地理を入れ込んだ英雄的気概の持ち主・清河八郎は、この回天という大事業に魁けたのだ。一大絵巻図のように幕末から維新にかけては英雄豪傑が数多く登場したのだが、そういう時代のうねりをつくりだす一人となった。社会や政治の革新もそうだが、衰えた組織も「回天」の気迫で起死回生をはかろうとする様々な人々の存在が必要である。

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10月9日 ジョン・レノン(ミュージシャン、シンガーソングライター)

ぼくが これまで どうやってきたかは おしえられる けど きみが これからどうするかは じぶんで かんがえなきゃ

ジョン・ウィンストン・オノ・レノン (John Winston Ono Lennon, MBE、1940年10月9日 – 1980年12月8日) はイギリスのミュージシャン、シンガーソングライター。ロックバンドであるザ・ビートルズのメンバーで、主にボーカル・ギター・作詞・作曲を担当。

ビートルズはヨーコの出現によって終わりを迎えた。「私は、ヨーコのほうをとったのです。私の選択は、間違っていませんでした」「私たちふたりの関係以上に重要なものは、なにもありません、ぜったいになにも」とジョンは語っている。ヨーコの次の言葉が印象に残った。「ビートルズとして存在していたために、ジョンは、ほんとうのジョンよりもスケールが小さくなってしまっていたようなものです」。ジョンは、ジョンになっていったのである。
冒頭の言葉は記念館のフィナーレ・ルームで、透明なボードにジョン・レノンからの日本語と英語で書かれているメッセージである。伝記、自伝、記事、映像、言葉などで先達の人生を眺めることはできる。しかしジョンが言うように、どうやってきたかを教えてもらうことはできるが、これからどうするかは自分で考えねばならない。

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10月8日 武満徹(作曲家)

作曲家にとって一番大事なことは”聴く”ことさ

武満 徹(たけみつ とおる、1930年10月8日 – 1996年2月20日)は、日本の作曲家。ほとんど独学で音楽を学ぶ。若手芸術家集団「実験工房」に所属し、映画やテレビなどで幅広く前衛的な音楽活動を展開。和楽器を取り入れた『ノヴェンバー・ステップス』によって、20世紀を代表する現代音楽家となった。享年65。

武満は学校教育の音楽に無縁だったが、特殊な音楽的記憶力を持っていた。そして生きている間に自分の音楽を創ろうとし日本を背負いながら自由に世界に飛翔した。異国趣味で琵琶や尺八をやるのではなく、西洋音楽にない日本の音楽の本質的で重要な面を出したいと願った。自然環境のように、流れるようにオーケストラ音楽を創っていった。武満徹は作曲家はまず、生きている生命、大いなる宇宙、自然、そこから生まれ出る命の音を最初の聴衆として心を込めて聴こうとすべきだという。それは普遍への道であろう。

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10月7日 久保田一竹(テキスタイルアーティスト)

伝統は軽んじてはならない。伝統にとらわれてもならない

久保田 一竹(くぼた いちく、1917年10月7日 – 2003年4月26日)は、日本のテキスタイルアーティスト。

20歳で「辻が花」に魅せられた久保田一竹は、ぶれることなくその後65年間にわたって生涯をかけて伝統の復活という課題に果敢に挑戦している。伝統と革新は、古くて新しいテーマであり、芸術、スポーツ、政治、組織運営、あらゆる分野で人々はこのテーマに挑んでいると言ってもいい。長い時間によって織られた歴史と伝統を引き継ぎながら、それに過剰に囚われることなく工夫を重ね、時代の息吹を吹き込み、新しい生命を誕生させる。それが現代に生きる私たちの課題なのだ。

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10月6日 ル・コルビュジェ(建築家)

家は生活の宝石箱でなくてはならない

ル・コルビュジエ(Le Corbusier、1887年10月6日 – 1965年8月27日)はスイスで生まれ、フランスで主に活躍した建築家。

「与えられた条件がいかなるものであるかは、絶えず情け容赦なく照り続ける」と仕事の困難さを語るル・コルビュジェは「家は生活の宝石箱でなくてはならない」と建築の心を説いている。大型の建築にも手を染めたが、個人の住宅の設計も多い。ル・コルビュジェは建築家として有名であったが、ひとつの分野にはとどまらない美の巨人だった。建築以外にも、絵画、彫刻、版画、タピスリー、映像などの分野にわたって活躍した多才な芸術家であった。朝はアトリエでの絵画制作、午後は設計事務所で仕事というスタイルだったことにも、その志向が現れている。

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10月5日 大濱信泉(法学教育者)

人の価値は、生まれた場所によって決まるものではない。いかに努力し、自分を磨くかによってきまるものである

大濱 信泉(おおはま のぶもと、1891年10月5日 – 1976年2月13日)は、日本の法学(専門は商法)・教育者。第7代早稲田大学総長(1954年 – 1966年)。沖縄県石垣島生まれ。

小学生時代に、ナポレオンの伝記を読んで、地中海の離島コルシカ島に生まれた人物が、フランスの皇帝にまでなった話に感激する。沖縄師範ではラブレター事件で退学処分を受け、上京し早稲田大学を首席で卒業する。この人の名は日本野球機構コミッショナーとしての記憶があるのだが、実は沖縄返還の立役者だったのだ。沖縄の石垣島出身の自分を、コルシカ島出身のナポレオンというモデルを参考にして、努力を重ね、自分を磨き上げて、大きくはばたいた人である。人生におけるロールモデルの存在が人を鼓舞することを改めて教えてくれる。やはり偉人伝の教育効果はすさまじいものがある。石垣島の記念館を訪ねなくてはならない。

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10月4日 日野原重明(医師、医学博士)

しかし、人間は生き方を変えることが出来る

日野原 重明(ひのはら しげあき、1911年(明治44)10月4日 – 2017年(平成29)7月18日)は、日本の医師・医学博士。聖路加国際病院名誉院長。

今までやったことのないことをする。会ったことのない人に会う。そして常に自己革新を続ける。103歳で初めて馬に乗る。104歳の誕生日には100歳から始めた俳句を104つおさめた俳句を収めた初めての句集を出版する。そしてフェイスブックも始めている。やるべき崇高な仕事があり、その生き方が多くの人に夢と希望を与える大きな人生だった。人生100年時代のモデル、105歳まで生き切った日野原重明は聖なる人となった。

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10月3日 平林たい子(小説家)

私は生きる

平林 たい子(ひらばやし たいこ、1905年(明治38年)10月3日 – 1972年(昭和47年)2月17日)は、日本の小説家。

平林たい子は、女流文学会会長をつとめている女傑だが、一生を眺めるとすさまじいエネルギーと思い切りのいい強烈な言動に驚く。「既婚の婦人は既に消費社会に入った商品であり、未婚の婦人は未だ流通過程にある商品である」(『男性罵倒録』)。
「わが母がわれを 生ましし齢(よわい)は来つ さずけたまひし 苦を苦しまむ」。平林たい子は、与えられた生を生き切ったのである。

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