10月4日 日野原重明(医師、医学博士)

しかし、人間は生き方を変えることが出来る

日野原 重明(ひのはら しげあき、1911年(明治44)10月4日 – 2017年(平成29)7月18日)は、日本の医師・医学博士。聖路加国際病院名誉院長。

今までやったことのないことをする。会ったことのない人に会う。そして常に自己革新を続ける。103歳で初めて馬に乗る。104歳の誕生日には100歳から始めた俳句を104つおさめた俳句を収めた初めての句集を出版する。そしてフェイスブックも始めている。やるべき崇高な仕事があり、その生き方が多くの人に夢と希望を与える大きな人生だった。人生100年時代のモデル、105歳まで生き切った日野原重明は聖なる人となった。

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10月4日 レンブラント(画家)

すでに君が身につけている技術を充分発揮するように努力しなさい。そうしているうちに他のわからないこともわかってくるよ

レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン(1606年7月15日 – 1669年10月4日)は、ネーデルラント連邦共和国(オランダ)の画家で、バロック期を代表する画家の1人。

今持っているものを使って、進みながら、改善を繰り返すようにしていく。頭で考えているだけでなく、実際にやってみれば、気づかなかったことも見えてくる。それが可能性を広げてくれる。レンブラントは天才を思うがままに発揮した人というより、漸進しながら成長していった人だったのではないか。

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10月3日 平林たい子(小説家)

私は生きる

平林 たい子(ひらばやし たいこ、1905年(明治38年)10月3日 – 1972年(昭和47年)2月17日)は、日本の小説家。

平林たい子は、女流文学会会長をつとめている女傑だが、一生を眺めるとすさまじいエネルギーと思い切りのいい強烈な言動に驚く。「既婚の婦人は既に消費社会に入った商品であり、未婚の婦人は未だ流通過程にある商品である」(『男性罵倒録』)。
「わが母がわれを 生ましし齢(よわい)は来つ さずけたまひし 苦を苦しまむ」。平林たい子は、与えられた生を生き切ったのである。

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10月3日 飯田蛇笏(俳人)

誰彼もあらず一天自尊の秋

飯田 蛇笏(いいだ だこつ、1885年(明治18年)4月26日 – 1962年(昭和37年)10月3日)は、山梨県出身の俳人。本名、飯田武治(いいだ たけはる)。別号に山廬(さんろ)。

この句は77歳のときの作である。ライバルはもはやいない、世界にただ一人の自分の道を行くだけである。世に屹立しようとする蛇笏の気概に感動する。

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10月2日 良寛(僧侶、歌人、漢詩人、書家)

災難にあう時節には災難にあうがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。これは災難をのがるる妙法にて候

良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日(1758年11月2日) – 天保2年1月6日(1831年2月18日))は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。

冒頭に掲げた言葉は、1828年の新潟三条の大地震で子どもを亡くした俳人・山田杜皐(やまだとこう)に17歳の良寛が宛てた見舞の一文である。自然のままに生きようという。災難にあったらあったら災難にあう。死ぬときは死ぬしかない。あるがままに受け入れて、自分ができることをしよう。良寛の辞世の歌は「いにしへいかはらぬものはあり みそとむかいみゆるさどのしまなみ」である。毎日の生活と佐渡島の風景は変わることはない。時節と摂理を受け入れて生きる心の大事さを良寛和尚は教えてくれる。

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10月2日 天海(僧)

気は長く、勤めは堅く、色うすく、食細くして、心広かれ

天海(てんかい、天文5年(1536年)? – 寛永20年10月2日(1643年11月13日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての天台宗の僧。南光坊天海、智楽院とも呼ばれる。大僧正。諡号は慈眼大師。徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した。

「気は長く、勤めは堅く、色うすく」は、勝海舟の座右の銘と知っていたが、その源流は天海だったのだ。108歳という長寿という説の信憑性については異論があるようだが、長寿の秘訣には納得させられる。

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10月1日 川口松太郎(小説家、劇作家)

このくり返しが自分の人生であり、悔いはない。悔いはむしろおびただしい作品の中にある

川口 松太郎(かわぐち まつたろう、1899年(明治32年)10月1日 – 1985年(昭和60年)6月9日)は日本の小説家、劇作家、日本芸術院会員、戦後の大映映画の専務。文化功労者。

「人生に悔いなし」というエッセイには、人生に悔いはないが、むしろ「悔いはむしろおびただしい作品の中にある」との悔恨がある。文筆業は時間の制約の中で書くたびに新しいものを書かねばならないから、どの作品にも悔いは残るのだ。

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10月1日 古今亭志ん朝(落語家)

この空港(ロンドンヒースロー空港)で一番働いているのは、あれかもしれませんね

古今亭 志ん朝(ここんてい しんちょう、1938年3月10日 – 2001年10月1日)は、東京の落語家の名跡。3代目の死去に伴い、現在は空席。 5代目古今亭志ん生門下より生まれた名前であり、これまで名乗った3人は全員5代目志ん生を師匠に持っていた(初代と3代目は実子)。

乗り継ぎの時間が少しあったので空港内のカフェでミルクティーを2人で飲みながら歓談した。当時のイギリスは労働党のキャラハン政権で、ストライキが頻発する異様な雰囲気だった。英国病などが盛んに論じられた頃だった。イギリス人は働かない、そういう印象を日本人は持っていた。直後の選挙で保守党のサッチャーが首相になるのだが、労働者天国の時代にまだ若い志ん朝さんを空港でもてなしたのである。
カフェではゆったりした時間が流れていた。フライトナンバーは0から9までの数字を組み合わせて表示するため、しょちゅうクルクルとボードが回っている状態だった。私たちは、それを「パタパタ」と呼んでいた。常にボードがパタパタ回っていたからだ。そのとき彼は突然こういったのだ。遠くで動いているパタパタを指で指しながら「この空港で一番働いているのは、あれかもしれませんね」と。こちらも思わず噴出してしまった。「一本取られた」という感じだった。
親しみを持ったと同時に、この着眼点は只者ではないと感心したことを思い出す。それ以来、私はすっかり志ん朝のファンになった。

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9月30日 朴正煕(軍人、政治家)

百の理論より一つの実践が要望され、楽しい分裂より苦しい団結がなければならず、他をくじくことよりも助けることを知り、惜しむことを知らねばならぬ

朴正煕(パク・チョンヒ、日本語読み: ぼく せいき、時憲暦9月30日(1917年11月14日) – 1979年10月26日)は、韓国の軍人、政治家。

「我が半万年の歴史は、一言で言って退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」という朴は、事大主義と属国性を脱却し、韓国近代化のために手段を選ばない開発独裁体制を推進したのだが、私人としては清廉であったとの評価がある。「子孫のために美田を残さず」という西郷隆盛を尊敬していた影響であろう。韓半島の統一で民族国家の威勢を示すことを目指した朴大統領は、難しい時代環境の中で、理論よりも実践、分裂よりも団結を重んじながら、故国の発展の礎を築こうとしたのだ。リーダーのスタイルは、必ずしもその人固有のものではない。遭遇した時代と周囲の環境と自らの力量との相関の中で、現下のテーマに沿ってどのような形のリーダーシップを選ぶかという選択なのだ。

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第38回 古橋広之進(音声講座『ビジネスに活かす偉人の名言』)

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「あきらめずへこたれず、魚になるまで水かきがつくまで泳ぐことだ」

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