4月10日 菅洋志(写真家)

一番高いところ、一番前など、見晴らしの良い場所を確保し、シャッターを押す

菅 洋志(すが ひろし 1945年7月9日−2013年4月10日)は、写真家。
1987年に「バリ・超夢幻界」で土門拳賞。写真展「生きる—東日本大震災から一年」の実行委員長を務めた。日本写真家協会常務理事。

写真集『アジア夢紀行』を発表したのは1987年で菅は42歳あたりだ。「堂々と写真を撮り、そして納得のいくところで発表をしたい」と決意を述べている菅は、仕事と私事の双方を意識していた。私事には「ライフワーク」と振り仮名を振っている。このエッセイの最後は「さあ、ドキュメンタリーが面白い時代になってきたぞ」と結んでいる。それから四半世紀、菅洋志は67歳で逝った。

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4月9日 村田邦彦(ピエトロの創業者)

泥船を木船に、木舟が鉄船になるようにやってきました

村田邦彦(1941年7月10日−2015年4月9日)は、福岡県福岡市中央区天神に本社を置く日本の食品メーカーならびにファミリーレストラン株式会社ピエトロの創業者。

創業から36年、いつ沈むかという不安の中を全力で疾走した村田邦彦は、泥で何とかつくった船をややしっかりした木の船に仕立て、その木の船を頑丈な鉄の船に仕上げていったのである。この感覚は創業者の実感だろうが、私が経験した沈滞した組織の改革に挑む時も、衰退した組織の再建に挑戦する場合も、泥、木、鉄というように精魂込めて船をつくるような同じ感覚があった。

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4月8日 清家清(建築家)

家とは単なるハウスではなくホームであるべきだ

清家 清(せいけ きよし、1918年12月13日 – 2005年4月8日)は、日本の建築家。

「漢字には、住まいを指すのに二つの文字がある。すなわち『宅』と『家』である。この場合、『宅』はハードウェアとしてのハウス、『家』はソフトウェアとしてのホームにあたる」。だから清家は路上生活者のことを、ホームレスというが、厳密にはハウスレスというべきであろうと言っている。「よい家とは、お金をかけるだけではなく、本当に末永く愛着をもって住めるかどうかがキメ手なのである。ひとつひとつの部屋や場所にいるとき、この部屋で育ってきた、私はここを使って生活してきたのだ、と実感できるもの、そういうものがかもしだす生活のにおいが、われわれにやすらぎを与えてくれるのである」。容れ物としてのハウスを手にすること、そしてそれ以上に安らぎを与えてくれるホームをつくることにも力を注がねば幸せには届かない。
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4月7日 岸田衿子(詩人,童話作家)

本の中のものと子どもが遊んでくれればいいといつも考えている

岸田 衿子(きしだ えりこ、1929年1月5日 – 2011年4月7日)は、日本の詩人・童話作家。

岸田衿子の詩はリズム感のある優しい詩で大人のファンも多く、茨木のり子と並んで現代女性詩人の最高峰だった。そして子ども時代そのままの感性で、親子のコミュニケーションを通じて、子どもの情操や想像力を育てる童話を書き、子どもたちに語りかけた。ピアニストや画家を志した表現者の少女は、詩人・童話作家となった。

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4月6日 原田明夫(検事総長)

起こったことは仕方がないのだから、そのことを前提に最善を考えよう

原田 明夫(はらだ あきお、1939年11月3日 – 2017年4月6日)は、日本の検事総長。

原田明夫は、検事として、取り返しのつかない人生を送りかねない人に向き合ううちに、「起こったことは仕方がないのだから、そのことを前提に最善を考えよう」という心境に至った。国際社会で活躍し尊敬を集めた新渡戸稲造という先達と対話し続け、どのような存在をも認めた上で争いのない社会にするために最善を考えようしたのであろう。

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4月5日 升田幸三(将棋棋士)

天下をとれる人というのは、結局、最上のコンディションをその日にピタリと持ってゆくことの出来る人、ということです

升田 幸三(ますだ こうぞう、1918年3月21日 – 1991年4月5日)は、将棋棋士。実力制第四代名人。

スポーツもそうだが、勝負というものは本番の前に勝敗は決している。体調を整え、心の調子を整えて、心身を最高の状態に持って行き、磨き抜いた技を存分に発揮できるものが勝つのだ。どの分野でも「天下人」とはそういう人である。

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4月4日 佐々木高明(民族学者)

照葉樹林文化論

佐々木 高明(ささき こうめい、1929年11月17日 – 2013年4月4日)は、日本の民族学者。国立民族学博物館館長。

この佐々木らの理論は『文明の生態史観』とともに、西洋を相対化するという視点で、戦後の日本人に自信を持たせたのである。『文明の生態史観』は西洋と日本は親せきであるとしたが、『照葉樹林文化論』はアジア世界の中に日本を位置づけた。

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4月3日 菊村到(作家、小説家)

仕事をするということは自分を開発し発見していくことに他なりません

菊村 到(きくむら いたる 1925年5月15日 – 1999年4月3日)は作家、小説家。本名は戸川雄次郎。
1948年、大学卒業と共に読売新聞社へ入社。社会部の記者として活動する傍らで執筆活動を行う。

仕事は全力を注がなければ成果はでないから、いい仕事をしている人は自分の中の資源を開発している人であり、日々新しい自分を発見し続けている人である。菊村到は小説を書き続ける中で、自身の関心や興味のありどころを発見し、能力を確認し、それを天命として受け入れていったのだ。自己発見とは、自己開発、自己創造していく道程の末にようやく見えてくるのものなのだ。そうして、やがて自分は本当の自分になる。

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4月2日 越後正一(実業家、伊藤忠商事社長・会長)

成功は窮苦の間に芽生えており、失敗は得意満面の間に宿る

越後 正一(えちご まさかず、1901年(明治34年)4月26日 – 1991年(平成3年)4月2日)は滋賀県出身の実業家。伊藤忠商事社長・会長。

越後以後の歴代社長の語録を並べてみる。戸崎誠喜「不撓不屈」。米倉功「現状維持は、すなわち、これ脱落である」。室伏稔「Nothing is impossible」。丹羽宇一郎「清く、正しく、美しく」。小林栄「Challenje,Create,Commit」。
以下、岡藤正広、鈴木善久と続くのだが、2016年3月決算では、伊藤忠は財閥系の三菱商事、三井物産を抜いてトップに立った。2017年3月には純利益3522億円の最高益をたたき出した。越後正一の「失敗は得意満面の間に宿る」という戒めに改めて心すべき時代になったということだろう。

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4月1日 大川ミサヲ(長寿の日本人女性)

まあまあ幸せ

大川 ミサヲ(おおかわ みさお、1898年(明治31年)3月5日 – 2015年(平成27年)4月1日)は、長寿の日本人女性。
19世紀、20世紀、21世紀の足掛け3世紀を生きた人。

大川ミサヲは長寿の秘訣を聞かれて、「美味しいものを食べること」「ゆっくり暮らすこと」「よく寝ること」をあげている。大川の日常そのままだ。19世紀末の明治から始まり、大正、昭和、戦後、平成、そして21世紀初頭までという気の遠くなるような117年の人生には、並大抵でない苦労があっただろうと推察される。人生を振り返って「まあまあ幸せ」と総括していることに安堵を覚える。平成末になって言われるようになった、迫り来る人生100年時代にも多くの人がこの言葉を吐けるようにしたいものだ。

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