4月20日 竹内均(地球物理学者)

前進あるのみ

竹内 均(たけうち ひとし、1920年7月2日 – 2004年4月20日)は、日本の地球物理学者。

私もビジネスマン時代には竹内均の書いた「修身」型の本の愛読者だった。それを読み返してみると、過去に読んだ本のエキスを縦横に用いていることがわ改めてわかった。ひたすら前進し、ひたすら蓄積していく、そしてそれを様々なメディアを通じて発表し、世の中に影響を与え続けていった人である。「前進と蓄積」がこの人のライフスタイルであった。知的鍛錬を継続することによって人生を最高に生きることができることを教えてくれた。

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4月19日 高橋節郎(漆芸家)

絵心、詩心、遊び心が芸術家の三大要素である

髙橋 節郎(たかはし せつろう、新字体:高橋 節郎、旧字体:高橋 節郞、1914年(大正3年)9月14日 – 2007年(平成19年)4月19日)は、日本の漆芸家である。

絵心、詩心、に加えて、遊び心を芸術家に必要な要素とあげている。体や頭だけでなく、人間だけが持つ心を満足させる遊びを挙げているのはさすがである。芸術という至高の分野は遊びと密接な関係がありそうだ。

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4月18日 来栖継(翻訳家、チェコ文学者、日中友好文通の会会長)

重訳が必ずしも直接訳に劣らない

栗栖 継(くりす けい、男性、1910年7月18日 – 2009年4月18日)は、翻訳家、チェコ文学者、共産主義者、エスペランティスト、日本エスペラント学会顧問、世界エスペラント協会名誉会員、日中友好文通の会会長。

翻訳は原本の良さがだんだん薄れるだろうと思うのだが、語学の才能に加えて、志の高い翻訳者を得れば、直接翻訳を上回る出来になることもある。来栖継の第一次翻訳が優れていて、スロバキア語への転訳もすばらしかった。小林多喜二から来栖継、そしてスロバキアのジャーナリストというように松明が引き継がれたのである。奇蹟の物語がここにある。享年98。

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4月17日 山田智彦(小説家)

先に何かがあるという思いは、単調な生活のはげみになる

山田 智彦(やまだ ともひこ、1936年3月23日 – 2001年4月17日)は、日本の小説家。
神奈川県生まれ。1958年、早稲田大学文学部独文科卒業。同大学院文学研究科独文科修士課程修了。

何かはわからないが、先に何かがあると思っていると、忍耐力と抑制力を養うことができる。ずっと先を見つめていると、目の前の問題は相対化される。職場でのマンネリ、人間関係の板挟みを乗り越えていくには、二足の草鞋生活は大いに役に立つのだ。先輩・山田智彦の人生の軌跡は、このことを教えてくれる。この何かとは「希望」ではないだろうか。

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4月16日 村田昭治(マーケティング論のリーダー)

経営力の差は、経営能力というよりも経営姿勢から生まれる

村田 昭治(むらた しょうじ、1932年11月19日 – 2015年4月16日)は、日本のマーケティング論のリーダー。

冒頭の「経営力の差は、経営能力というよりも経営姿勢から生まれる」の「経営」という言葉をはずしてみよう。「力の差は、能力というよりも姿勢から生まれる」になる。前向きで、勢いのある姿を続けられれば、どの分野でもいずれ無敵のリーダーになる。

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4月15日 三重野康(第26代日本銀行総裁)

五十歩と百歩は違う

三重野 康(みえの やすし、1924年(大正13年)3月17日 – 2012年(平成24年)4月15日)は、第26代日本銀行総裁。

「五十歩、百歩」は、どちらも同じようなものだという意味で使われる。しかし三重野康は仕事の場面では、この二つは差があるという。退くときには、五十歩なら踏みとどまって橋頭堡となり、それが次の踏み台になって前進できると考えている。長い目で前に進むことを考えながらしぶとく仕事をしていた姿を彷彿とさせる言葉である。

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4月14日 三國連太郎(俳優)

自分の器量に過不足のない物選び、それができれば一人前

三國 連太郎(みくに れんたろう、1923年(大正12年)1月20日 – 2013年(平成25年)4月14日)は、日本の俳優。

世田谷・砧にある自宅の2階の書斎は10畳ほどの空間とそれに続くテラスがあった。そこには自身の眼で確かめた眼鏡、鞄、万年筆などの愛用品が並んでいた。自分の器量にふさわしい物選びをしていたのである。この趣味人が生前に大人のための上質な素材と細部までこだわった作りで定評のある「パパス」のモデルになったのを覚えている。それは優れた人選だったのだ。

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4月13日 江頭匡一(実業家)

目標を作り、計画を立て、それを確実に実行するときは間違いなく目標に到達する

江頭 匡一(えがしら きょういち、1923年〈大正12年〉3月25日 – 2005年〈平成17年〉4月13日)は、日本の実業家。ファミリーレストランの草分け的存在である外食チェーン店・ロイヤルホストなどを展開する、福岡に本社を置くロイヤルホールディングス株式会社の創業者。

冒頭の「目標、計画、実行」は、当たり前のようではあるが、相当の気概をもって事に当たらなければ達成はできるものではない。「実行」の前に「確実な」という言葉が入っているのは見逃せない。匡一という名前は論語の「天下を一匡す」から名付けられた。乱れた状態をあるべき正しい姿に戻すという意味である。その名のとおり、江頭匡一は一つひとつを疎かにせず、日々問題を解決し、正しい姿に戻していこうとする人生行路だったのであろう。

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4月12日 ペギー葉山(女性歌手、タレント)

すべてが、つながっているんですよ。、、、私の人生って、『歌の扉』があって、それを開けると、また次の『歌の扉』があって、という、そういう運命的な歌の神様に導かれたような気がするの

ペギー葉山(ペギーはやま、本名:森 シゲ子(もり しげこ)旧姓:小鷹狩(こたかり)、1933年12月9日 – 2017年4月12日)は、日本の女性歌手、タレント。

歌は慰みである。歌は励ましである。歌は教育である。この歌を歌うことを仕事にして多くの人の心に灯火をつけたペギー葉山は、「とても幸せな人生だったんだな」と述懐している。私たちの人生行路にはいくつもの大小の扉がある。その扉を思い切って開けると違う世界が目の前に広がる。その連続が人生ということになる。後から振り返ってペギー葉山が言うように「すべてが、つながっている」と思えるようなら、幸せな人生だったということだろうか。

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4月11日 高橋圭三(日本のアナウンサー、参議院議員)

管理職になってハンコなんか押せない。ハンコは誰でも押せるが、職人アナの代わりはいない

高橋 圭三(たかはし けいぞう、1918年9月9日 – 2002年4月11日)は、日本のアナウンサー、参議院議員。

1962年の NHKとの契約解除後、民放に転じたNHKアナウンサーがフリーになった第1号となった。冒頭の「職人アナ」はその時に語った言葉である。日本では司会は場つなぎの仕事であるが、アメリカでは大切な職業として認知されており、日本における司会業の確立が高橋の夢であった。強い矜持を持っていた高橋圭三アナウンサーは職人アナウンサーのパイオニアとして、後輩たちの優れたモデルになった。

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