5月31日 佐橋滋(官僚、通商産業事務次官)

古今東西のそれぞれの分野で偉かったという人の教えを受けてみる。それが本を読むということである

佐橋 滋(さはし しげる、1913年(大正2年)4月5日 – 1993年(平成5年)5月31日)は日本の官僚。通商産業事務次官。

佐橋は読書家で『毛沢東語録』の大事な教えとして「愚公山を移す」を挙げ、それを生活態度にまで高めようと言う。愚公が90歳で家の前の山を他へ移そうと思い、箕で土を運んだ寓話である。知巧を用いず、勉めてやまぬときは、ついに大事業をなしとげるというたとえだが、日本と中国国民党から中国共産党が政権を奪うという意志を示したこの説話は有名になった。『毛沢東語録』を熟読していることに精神の柔軟性をみる想いがする。知恵がある賢い人という意味で人間は自分自身をホモ・サピエンスと呼んでいる。つまり「考える人」という意味であり、それは疑うことでもある。人間は、現場を持ちながら読書で昔の偉い人の教えを受けていなければ動物に成り下がってしまう。佐橋滋は現場と読書を往復しながら疑う精神を持ち続けた人だった。

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5月30日 粕谷一希(評論家、編集者、出版事業家)

金は遣えば無くなるが、頭は使えば使うほど良くなる

粕谷 一希(かすや かずき、1930年2月4日 – 2014年5月30日)は東京府出身の日本の評論家、編集者、出版事業家。

「頭は使えば使うほど良くなる」は夫人が観察した粕谷の口癖である。「日本が知的になるには、本を大事にするということから始めなければならない」、そのことが日本人を知的にすると信じていた。粕谷一希は、編集という天職を全うする中で、優れた人物との交流を続けながら、自らの生きた「時代」と格闘したのである。

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5月29日 新藤兼人(映画監督、脚本家)

私は仕事をして生きてきた。その仕事の中に私自身が含まれていると私は思います。仕事とは、私であり続けること、私とは何かを考え続けることなんです

新藤 兼人(しんどう かねと、1912年(明治45年)4月22日 – 2012年(平成24年)5月29日)は、日本の映画監督、脚本家。1997年に文化功労者、2002年に文化勲章。

「自分は世界で唯一の貴重な存在なんだと考えることが大切なんです」という新藤は「私の財産は、挫折なんです」というほど挫折が多かったが、それを財産として成長を遂げた。新藤は、映画人という天職に70年以上の期間を費やした。それは自己発見と自分づくりの100年におよぶ仕事人生であったのだ。「人は死んでしまうが、死なない人もいるのだ」。残した作品には永遠の命があり、新藤兼人は死んではいない。

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5月28日 藤村富美男(プロ野球選手、監督、解説者)

私の終生のライバルは、鶴岡(一人)さんただ一人です

藤村 富美男(ふじむら ふみお、1916年8月14日 – 1992年5月28日)は、広島県呉市出身のプロ野球選手・監督・解説者。

少年時代の沢村投手、現役時代の川上、別当など、気になる存在はいたが、藤村にとって南海ホークスで活躍した同じ呉出身の同年生まれの初代「ミスターホークス」で、プロ野球史上最多勝監督・鶴岡一人が終生のライバルであった。リーグは違ったが、その活躍を横目に見ながら、自分を鍛え、磨いていった野球人生であった。終生のライバルの存在は大きい。

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5月27日 山地進(日本航空社長、会長)

教育は大切だからね

山地 進(やまじ すすむ、1925年5月12日 – 2005年5月27日)は、総務事務次官を経て日本航空社長、会長。

1997年の私の宮城大への転出にあたって山地会長に挨拶に伺うと、「君は個性派だったからね。会社にとっては明らかに損失だが、本人にとっては、その方がいいだろう。教育は大切だからね」と励ましていただいた。「教育は大切だ」という言葉が耳にこだましながら仕事をし続けてもう20年になる。

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5月26日 山村聡(俳優、映画監督)

どうしても出演したい

山村 聰(やまむら そう、1910年(明治43年)2月24日 – 2000年(平成12年)5月26日)は、日本の俳優・映画監督。

日米合作の『トラ・トラ・トラ』は、黒澤明監督の降板事件があり、後任監督の人選は難航したが、「ハリウッドの映画制作に興味がある」という深作欣二が舛田利雄とともに共同監督として登板した。その主役の山本五十六は山村聡が演じている。山村はオファーを受け「どうしても出演したい」と東映側と相談し、ドラマ『あゝ忠臣蔵』と同時並行で撮影に臨んだ。風格俳優・山村聡の俳優魂を感じる逸話である。

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5月25日 米原万里(ロシア語同時通訳、エッセイスト、ノンフィクション作家、小説家)

よく聞きなさい、私は美人作家じゃなくて美人なのよ

米原 万里(よねはら まり、女性、1950年4月29日 – 2006年5月25日)は、日本の、ロシア語同時通訳・エッセイスト・ノンフィクション作家・小説家である。

米原はよく「美人作家」と呼ばれていたが、その尊号を拒否する。作家の中での美人というのはおかしい。作家は美しいかどうかは関係がない。だから自分は「美人」だとのたまった。同じロシア語に堪能で言葉に厳しい作家の佐藤優が「米原さんは美人作家ですから」と言ったら、このように怒られたという。米原万里の名は、様々の作家のエッセイに愛すべき、尊敬すべき人として登場するのを見ていたのだが、今となっては56歳で夭折した同世代のこの人の肉声を聞けなかったのを残念に思う。

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5月24日 西丸震也(食生態学者、エッセイスト、探検家、登山家)

やりたいことを、やれる時にやってしまえ

西丸 震哉(にしまるしんや、1923年9月5日 – 2012年5月24日)は、日本人の食生態学者、、エッセイスト、探検家、登山家。

2008年には長野県大町に西丸震哉記念館が開館している。活躍の軌跡を伝えるコレクションや、関連資料を展示する記念館だ。パプアニューギニアの部族に関するコレクション、珍しい蝶の標本、探検登山時代の写真やスケッチ、絵画なども展示されている。41歳寿命説を提唱した本人は90歳近くまで、やりたいことをやれる時にやって、名前の通り、世間を震わせたのである。

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5月23日 熊井啓(映画監督)

未覺池塘春草夢

熊井 啓(くまい けい、1930年6月1日 – 2007年5月23日)は、日本の映画監督。
多くの監督作が『キネマ旬報』ベスト・テンに選出され、ベルリン国際映画祭やヴェネツィア国際映画祭の各賞を受賞した。日本を代表する社会派映画の巨匠である。

妻からは偽悪的で韜晦的でもあったとも評された熊井啓は、色紙を求められると「未覺池塘春草夢」と書いた。その夢とは映画をつくることであり、強じんな精神力をもって意気軒昂な姿でその夢を生涯持ち続けた。熊井啓は少年の志を持ち続け、実現した人である。こういう気概がものを生み出すのだ。

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5月22日 平岩外四(財界人、経営者、東京電力会長、第7代経団連会長

タフでなければ生きていけない。やさしくなければ生きている資格がない

平岩 外四(ひらいわ がいし、1914年(大正3年)8月31日 – 2007年(平成19年)5月22日)は、愛知県常滑市出身の財界人、経営者。東京電力会長、第7代日本経済団体連合会(経団連)会長。

1976年の東京電力社長就任に記者会見で座右の銘を尋ねられて答えた「タフでなければ、、」はアメリカのハードボイルド作家・レイモンド・チャンドラーの小説の中で私立探偵フィリップ・マーロウが吐いた言葉である。ビッグビジネスのトップの言葉としての意外性から話題になった。殺人的スケジュールをこなすタフさとお客様へのやさしい経営を志したのだ。平岩は組織運営について言ったのだが、人びとは個人の生き方についての言葉として共感の波が広がった。私もその一人だった。蔵書は3万冊に迫る財界随一の読書家であった平岩だからこそ選んだ名言である。

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