4月30日 竹内宏(経済学者、評論家、キャスター)

30才代までは議論しなさい。40才代には議論を聞いてあげなさい。50才代になったら議論に負けてあげなさい

竹内 宏(たけうち ひろし。1930年9月13日 – 2016年4月30日)は、日本の経済学者(日本経済・中東アジア経済)、評論家、キャスター。

サラリーマンとしても高い地位に昇った竹内宏は、人事の機微にも通じていたように思う。年配になったら、役職についたら、「議論に負けてあげなさい」というアドバイスは時折、頭をかすめることがある。

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4月29日 牧伸二(ウクレレ漫談家)

漫談芸は格闘技である

牧 伸二(まき しんじ、本名:大井 守常〈おおい もりつね〉、1934年9月26日 – 2013年4月29日)は、日本のウクレレ漫談家。色モノ芸人の集まりである東京演芸協会の会長。

時事ネタを取り入れて漫談を行うには時代の流れに敏感でなければウケナイ。また政治や宗教の風刺、下ネタ、その土地土地に存在するタブーなどはやらない。自分の足で街を歩き、見て、聞いて、観じた「いま」をネタにしなければ、お客さんが笑うような面白いものは出来上がらない。これが牧伸二のポリシーだった。優れた芸人は「時代」を表現し、今を生きる人々の心に共感のさざ波を起こし、笑いをとる。牧伸は油断できない、隙を見せられない、真剣勝負の格闘技の世界を生き抜いた人だったのだ。

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4月28日 粟津潔(グラフィックデザイナー)

与えられたテーマに自分なりの『見い出し方』を持ち込むことができたら、デザインはデザインを超えていく

粟津 潔(あわづ きよし、1929年2月19日 – 2009年4月28日)は日本のグラフィックデザイナー。

自分の舞台を創るところから始める起業家は、いわばアーティストである。相手が用意したテーマを予算や時間の制約の中で解答を出すビジネスマンは、いわばデザイナーである。設計者である。デザインの過程で自分という個性を表現できるようになったら、デザインはデザインを超えていく。そして分野を自在に越境していけるようになる。粟津潔のようなデザイナーを志したいものである。

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4月27日 大社義規(実業家、日本ハム創業社長)

ツキが落ちても悲観するな

大社 義規(おおこそ よしのり、1915年2月1日 – 2005年4月27日)は、日本の実業家。日本ハム創業社長。

ツキが落ちても悲観する必要はない。なぜなら、そうした局面で何をしたか、どう対応したかによって、その後の展開が大きく変わるからだ。「じっと辛抱して持ちこたえていれば、不思議と運は開けてくるものなんです」と大社義規は語っている。不況、不遇、不運は、次の展開のへむけての準備期間と考えよう。

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4月26日 大山倍達(武道家(極真空手)、極真会館館長)

この地上において、自分より強い人間が存在することを絶対に許さない

大山 倍達(おおやま ますたつ、1923年7月27日(大正12年6月4日) – 1994年(平成6年)4月26日)は、朝鮮半島出身の武道家(極真空手)。国際空手道連盟総裁・極真会館館長。段位は十段。

大山の座右の銘11ヵ条の中には「武の道において真の極意は体験にあり」がある。ここから極真会の名をつけたのだろう。また「武の道においては点を起とし、円を終とす 線はこれに付随するものなり」も面白い。また同じ武闘家として大山は宮本武蔵を尊敬していた。「武の道においては千日を初心とし 万日の稽古をもって極となす」は武蔵の『五輪書』の名言「千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす」をなぞったものだ。大山倍達は「格闘技の中では空手が一番強く、空手の中では極真が一番強い」と、極真最強論を公言していた。自分より強い人間の存在は許さないという気迫は鍛え抜かれたこの自信からきていることがわかる。

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4月25日 尾崎豊(歌手、作詞家、作曲家、編曲家、詩人、実業家)

僕はお金のためにロックンロールをやっているんじゃない。僕は僕の歌を聴いてくれて希望を持ってもらえるために歌うんです。僕は傷ついた人たちのために歌いたい

尾崎 豊(おざき ゆたか、1965年11月29日- 1992年4月25日)は、日本の歌手、作詞家、作曲家、編曲家、詩人、実業家。

「どんな困難にも負けないで いつまでも夢を捨てないで 君たちへ僕からの精一杯の愛情をこめていつまでも歌い続けることを約束します」という尾崎豊の歌は、傷つきやすい若者へ向けての「夢と希望」を捨てるなという応援メッセージだった。「自由っていったいなんだい 自由になりたくないかい みんなは思う様にいきてるかい」、、、。この人の歌は時代を越えて若者たちに共感の小波を起こし、その心に深く響き続けるだろう。

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4月24日 小島勝平(実業家、小島電機創設者)

鼻は低く、志は高く

小島 勝平(こじま かつへい。1936年1月28日−2007年4月24日。栃木県生まれ、1954年栃木県立宇都宮商業高校卒業後、実家の雑貨店を手伝う。1963年小島電機(コジマ)設立。「安さに勝るサービスはない」という経営信条を貫く。

「鼻は低く、志は高く」という人柄の滲み出たユーモアあふれる言葉をよく使っていたように、小島勝平は明るさと熱情をもって「安値日本一」という単純峻烈で強靭な経営理念で生涯を戦い抜き一代で売上げ「日本一」となったのだが、その後ライバルに敗退していく。カリスマ創業者が奮闘し急成長した企業のトップ交代の難しさと、創業経営者の悲哀を感じる人生のストーリーである。社長を退いた60代後半から亡くなるまでの心境はどのようなものだったのだろうか。

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4月23日 第二十二代目 木村庄之助(大相撲の立行司)

行司も力士も親方衆も、昔からの相撲の型、行司の型を後世に伝えるよう努力し、協会はそれができるような体制をつくるようがん張ってもらいたいものだ

第22代木村 庄之助(きむら しょうのすけ、1890年3月1日 – 1994年4月23日 )は、大相撲の立行司。

「行司は力士に相撲を取らせるのだという心意気、意気込み」を持っていた第22代木村庄之助の目は厳しく、それぞれが「型」を伝えることを期待し、協会はそれを支援せよという。国際化し、問題山積みの現在の相撲界を庄之助はどう見るだろうか。

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4月22日 斎藤英四郎(実業家、新日本製鐵元社長、経団連第6代会長)

明るさを求めて暗さを見ず。今日失敗しても明日に明るさを求める。人の欠点より長所を見る。その方が人生楽しいじゃないですか

斎藤 英四郎(さいとう えいしろう、1911年11月22日 – 2002年4月22日)は、日本の実業家。新日本製鐵(新日鉄、現・新日鐵住金)の元社長。経済団体連合会(経団連)第6代会長。

斎藤英四郎は生来のネアカな性格に加えて、明るさを持ち続けようと意識して人格を創りあげたのである。仕事が人をつくり、地位が人をつくる。

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4月21日 多田富雄(免疫学者、文筆家)

君と一緒にこれから経験する世界は、二人にとって好奇心に満ちた冒険の世界なのだ

多田 富雄(ただ とみお、1934年3月31日 – 2010年4月21日)は、日本の免疫学者、文筆家。
千葉大教授、東大教授として、免疫学に貢献。野口英世記念医学賞、朝日賞を受賞。文化功労者。

脳梗塞になって生まれ変わったと確信した多田富雄は、リハビリによって歩ける日が来ることと、初めてのパソコン操作による文章を書いて社会に参加できるという「希望」を持った。その苦難の道行きは、新たな冒険と探検の世界だった。冒険を試み、未知の世界を感じ、調べ、報告する。再生した多田富雄は探検者として、その後数年を生き切り、健常者にも病者にも、大いなる勇気と優れた啓示を与えたのである。

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