2月25日 飯田龍太(俳人)

誰もが感じていながら、いままで、誰もいわなかったことを、ずばりと言い止めた俳句。それが名句の条件である

飯田龍太(いいだ りゅうた、1920年7月10日 – 2007年2月25日)は、山梨県出身の俳人。国学院大学で折口信夫門下に入る。国文学者か小説家になろうとしたが、兄3人が死に大庄屋飯田家を継ぎ、父の俳句結社「雲母」も継ぐことになった。

山梨に旅して文学館を訪れると飯田蛇笏と飯田龍太親子の本や句集が目に入る。龍太は親の七光りかと思って敬遠していたが、間違いだった。龍太は蛇笏と並ぶ、いやそれ以上の俳人だったのだ。「龍太の時代」と言われるほど、俳人だけでなく同時代の文学者たちに愛され、影響を与えている。龍太の指摘するこの名句の条件をめぐる言葉は、感じてはいたが表現できなかったことをずばりと断定してすがすがしい。

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2月24日 前畑秀子(水泳選手)

練習中、泳いでいながらプールの中で汗が流れるのがわかった

前畑 秀子(まえはた ひでこ、1914年(大正3年)5月20日 – 1995年(平成7年)2月24日)は、和歌山県伊都郡橋本町(現・橋本市)出身の水泳選手。

前畑は、 自分は天才ではなく、普通の少女であり、練習に練習を重ね、自分を鍛えたと語っている。冷たい水の中で汗が流れるのを感じる。フジヤマのトビウオ古橋が指の間に膜ができたと言っていたのを思い出す。水泳だけでなく、相撲でも野球でも名をなしたトップアスリートたちはみな「自分は天才ではない、努力型だ」というから、謙遜ではなく実際にそうなのだろう。

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2月23日 片倉もと子(民族学者、文化人類学者)

砂漠のままの文化を大切にしたい

片倉 もとこ(かたくら もとこ=素子=・旧姓新谷、1937年10月17日 – 2013年2月23日)は、日本の民族学者・文化人類学者。

片倉もと子は砂漠の魅力に取り憑かれた一生を送り、日本沙漠学会副会長もつとめた。砂漠文化の伝承のために遺産を寄付し、それが財団となって「志」が継続していく。

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2月22日 隅谷三喜男(経済学者)

きみたちが専門と定めたことを学ぶとともに、人間とは何であるか、人生とは何であるか、という問いについても考えてもらいたいと思う

隅谷 三喜男(すみや みきお、1916年(大正5年)8月26日 – 2003年(平成15年)2月22日)は、日本の経済学者。専門は労働経済学。

冒頭に掲げた言葉は1981年に刊行されよく読まれた岩波ジュニア新書『大学で何を学ぶか』の最後のページの言葉である。それから30数年経って、その意味も変わってきた。「専門」は他領域からの侵入によってアッという間に溶解してしまう。「人間とは何か」は、脳科学の著しい進展、AIの登場、2045年のシンギュラリティの到来予測などによって、人類にとって最大で最新のテーマとなっている。また「人生とは何か」は、人生100年時代を迎えようとしている21世紀前半の時代では、生物学的な存在の意味を超えた広大な時間と空間が、その意味を切実に問いかけてくる。隅谷の言う「人間とは」「人生とは」は、普遍的な問いかけだったのである。

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2月21日 石橋信夫(実業家、大和ハウス工業社長・会長)

私は経営を耳で学んだ。これこそ生きた経営学である。私は学問はないが「聞学(もんがく)」は習得した。これが何よりの武器なのである

石橋 信夫(いしばし のぶお、1921年9月9日 – 2003年2月21日)は、日本の実業家。大和ハウス工業の社長・会長をつとめた。

この石橋の武器は耳学問だった。それを「聞学」と呼んで意識的に精進したのだ。人に会い最先端・最前線の人々からエキスの話を聞き、考え、そしてまたカンドコロを聞き、考え抜く。こういった生きた経営学でくり返しヒットを生んでいったのである。学歴はすぐにひからびる。生涯を通じての学習歴の積み重ねこそが重要であることを石橋信夫の「聞学」は教えてくれる。

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2月20日 金子兜太(俳人)

長年の間に亡くなった人で、自分にとって印象に残っている人たち、お世話になった人とかいろいろいろ、つまり私にとって大切な、特別な人たちですが、その名前をずうっと言っていくのです。今、二百人くらいになっているかな

金子 兜太(かねこ とうた、1919年(大正8年)9月23日 – 2018年(平成30年)2月20日)は、埼玉県出身の俳人。加藤楸邨に師事、「寒雷」所属を経て「海程」を創刊、主宰。

冒頭の言葉は毎朝唱える「立禅」と自ら呼んだ方法である。坐禅ではなく立って行う。縁のあった人々を思い出しながら生きていることに感謝する儀式だ。最後は、両親と妻の皆子さん、それに飼っていた犬猫で終わるとか。金子兜太は「長寿への意志」をはっきりと持って生きていた。この快老人は95歳では確か「百五才を目指す」と宣言していたのだが、本日98歳で逝去。百歳にわずかに届かなかった。

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2月19日 鄧小平(政治家)

改革・開放には大きな肝っ玉が必要だ。正しいと思ったら大胆に試してみよ

鄧 小平(とう しょうへい、中国語読み:ドン シャオピン 、IPA:[tɤŋ ɕjɑʊ pʰiŋ]、1904年8月22日 – 1997年2月19日)は、中華人民共和国の政治家。

身長150センチと体は小柄ながら、大きな肝っ玉で、改革・開放路線を大胆に掲げ、大きな号令で推進し、中国を豊かにした功績は計り知れない。この人の粘り強さと大いなる手腕には感銘を受ける。

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2月18日 津島祐子(小説家)

不運なことだけど、不運に溺れていると不幸になる

津島 佑子(つしま ゆうこ、1947年3月30日 – 2016年2月18日)は、日本の小説家。本名は津島里子(つしま さとこ)。

この「不運と不幸」は津島祐子が長男を亡くしたときに太宰治の妻だった母が語った言葉である。偶然に訪れる幸運に舞い上がることなく、そして不運に埋没せずに、自分の足でしっかり生きよと励まされたのであろう。この母も偉かった。

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2月17日 藤田まこと(俳優、歌手、コメディアン)

役者は権威と箔がついたら終わり。平でいたい

藤田 まこと(ふじた まこと、1933年4月13日 – 2010年2月17日)は、日本の俳優、歌手、コメディアン。

「後ろは振り返らない。前に進めなくなっちゃうから」とい言う藤田まことは、権威と箔を嫌い、一から次の仕事に立ち向かい、役者として成長を遂げていったのだ。

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2月16日 船村徹(作曲家、歌手)

俺は茨城弁で歌詞を書くから、お前は栃木弁で作曲しろ

船村 徹(ふなむら とおる、1932年6月12日 – 2017年2月16日)は、日本の作曲家・歌手。日本音楽著作権協会(JASRAC)会長、日本作曲家協会理事長。横綱審議委員会委員。

夭折した親友・作詞家高野公男の「俺は茨城弁で歌詞を書くから、お前は栃木弁で作曲しろ」という言葉が船村の指針となった。船村徹の歌には栃木弁のアクセントがあり、地方出身者の悲哀や希望を込めた叙情豊かなメロディーが大衆の心をつかんだのである。船村徹は二人分の人生を生きた。

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