4月2日 越後正一(実業家、伊藤忠商事社長・会長)

成功は窮苦の間に芽生えており、失敗は得意満面の間に宿る

越後 正一(えちご まさかず、1901年(明治34年)4月26日 – 1991年(平成3年)4月2日)は滋賀県出身の実業家。伊藤忠商事社長・会長。

越後以後の歴代社長の語録を並べてみる。戸崎誠喜「不撓不屈」。米倉功「現状維持は、すなわち、これ脱落である」。室伏稔「Nothing is impossible」。丹羽宇一郎「清く、正しく、美しく」。小林栄「Challenje,Create,Commit」。
以下、岡藤正広、鈴木善久と続くのだが、2016年3月決算では、伊藤忠は財閥系の三菱商事、三井物産を抜いてトップに立った。2017年3月には純利益3522億円の最高益をたたき出した。越後正一の「失敗は得意満面の間に宿る」という戒めに改めて心すべき時代になったということだろう。

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4月1日 大川ミサヲ(長寿の日本人女性)

まあまあ幸せ

大川 ミサヲ(おおかわ みさお、1898年(明治31年)3月5日 – 2015年(平成27年)4月1日)は、長寿の日本人女性。
19世紀、20世紀、21世紀の足掛け3世紀を生きた人。

大川ミサヲは長寿の秘訣を聞かれて、「美味しいものを食べること」「ゆっくり暮らすこと」「よく寝ること」をあげている。大川の日常そのままだ。19世紀末の明治から始まり、大正、昭和、戦後、平成、そして21世紀初頭までという気の遠くなるような117年の人生には、並大抵でない苦労があっただろうと推察される。人生を振り返って「まあまあ幸せ」と総括していることに安堵を覚える。平成末になって言われるようになった、迫り来る人生100年時代にも多くの人がこの言葉を吐けるようにしたいものだ。

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3月31日 六代目 中村歌右衛門(歌舞伎役者)

謙虚さをなくしたら芸はダメ

六代目 中村 歌右衛門(なかむら うたえもん、1917年(大正6年)1月20日 – 2001年(平成13年)3月31日)は、日本の歌舞伎役者。

偉人たちは切磋する敵、琢磨する友によって偉大になっているのであるが、このような優れた好敵手、異業界のトップとの切磋琢磨によって、中村歌右衛門は磨かれたのだ。歌右衛門は「謙虚さ」を武器に、ライバルや友人から学び続け「芸」を磨き続けたのであろう。

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3月30日 佐藤忠良(彫刻家)

底光りするような個性というものは、競技者が一番でゴールに入るときの鍛錬にも似て、作家人生の終盤に出るのが本当ではないだろうか

佐藤 忠良(さとう ちゅうりょう、1912年7月4日 – 2011年3月30日)は日本の彫刻家。

「彫刻家と人が認めてくれたとき、五十歳を越えていた」遅咲きの人・佐藤忠良は強い浮揚力で滑走路に足がつかないように低空飛行を長い期間続け、作家人生の終盤にようやく底光りする個性と品格を表現できたのだろう。

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3月29日 成毛滋(ギタリスト、キーボーディスト)

日本のインチキギタリストは、、、

成毛 滋(なるも しげる、1947年1月29日 – 2007年3月29日)は日本のギタリスト、キーボーディスト。

同時代のギタリストを「インチキギタリスト」と厳しく批判するなど、人をけなす言い方は名物だったようだ。当時のギターの教則本を真っ向から否定していた挑戦的な人だった。成毛滋は誰も反論できないほどの膨大な知識とたゆまぬ努力の末に得た高度なテクニックを持つ伝説のギタリストだった。専門分野について、表現はともかくこういう言葉を吐ける自負を持ちたいものだ。

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3月28日 氏家齋一郎(実業家)

70年以上生きてきて、何もやってこなかった男の寂しさが分かるか

氏家 齊一郎(うじいえ せいいちろう、1926年(大正15年)5月17日 – 2011年(平成23年)3月28日)は、日本の実業家。

外見には立身出世を果たしてきたとみえる氏家は、「この世の中で大成した人で、人騙して上がってきたっていう人いないもの」と言う。そして意外にも「俺の人生、振り返ると何もやっていない」「死ぬ前に何かやりたい、、、」と語っている。刹那主義で目前の課題の解決や闘いに勝ち続けて来たが、しかし何も残せなかったと振り返る寂しい姿がみえる。氏家には自らの存在証明としてのライフワークがなかったのだ。最後は、氏家は共産主義者の匂いの残る高畑勲監督の『かぐや姫』に日本テレビの20億円を注ぎ込み、製作=氏家齋一郎と書き込んだ。それが残った。人は何を遺すかを考えなければならない。

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3月27日 朝倉摂(舞台美術家・画家)

劇場空間は生き物なのです。それに応えるべく、劇場空間が喜んでくれるような仕事に挑みたいといつも思っています

朝倉 摂(あさくら せつ、1922年7月16日 – 2014年3月27日)は、日本の舞台美術家・画家。父は彫刻家の朝倉文夫。妹は彫刻家の朝倉響子。

若い頃から一貫して、「芸術家の行為はレジスタンスです」、「すべてに闘わないとだめ」といった姿勢を貫いた朝倉摂は、常に若々しいエネルギーに満ちた前衛の人であった。草分けとなった舞台美術という分野を創り上げた朝倉摂は、生涯現役で、生き物である劇場を喜ばせる仕事を天職としたのである。

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3月26日 山口誓子(俳人)

私はただ事に当って全力を尽くしただけのことである

山口 誓子(やまぐち せいし、1901年(明治34年)11月3日 – 1994年(平成6年)3月26日)は京都府出身の俳人。

57歳では、なりたい職業はなかったが、「ただ事に当って全力を尽く」すという態度を貫いた結果、俳句につながる現在の職業が、うってつけの職業になったと語っている。ここに天職への扉を開く秘密がある。

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3月25日 田村魚菜(料理研究家)

料理或いは食べ物、というレンズのフィルターをつけて歩いてきた

田村 魚菜(たむら ぎょさい、1914年11月23日 – 1991年3月25日)は、料理研究家。

田村魚菜のいう、その人独特のレンズのフィルターとは専門性のことである。職業人とは、長い間に身につけた独特のフィルターで世の中を見る人である。損害保険のトップ企業の幹部の方と食事をしたとき、世の事象をすべてリスクという観点から見ていて敬服したことがある。学校歴という意味での学歴ではなく、生涯を通じての学習の歴史である学習歴が重要であることが田村魚菜の人生からもみえてくる。

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3月24日 田村喜子(ノンフィクション作家)

「方」がつくのは偉いのよ。だって、「親方」と「奥方」には頭があがらないでしょ

田村 喜子(たむら よしこ、1932年10月25日 – 2012年3月24日)は、日本のノンフィクション作家。

土石・木材・鉄材などを使用して、道路・橋梁・鉄道・港湾・堤防・河川・上下水道などを造る建設工事を行う地味な技術者は、「土方」と呼ばれることがある。冒頭の言葉は、その一人である苦瀬博仁(東京海洋大学教授)を田村喜子がユーモアを交えて励ました言葉である。「家」がつく偉い人よりも、現場に立ってものづくりを行う技術者たちは励まされて土木学会の賞を贈られたのであろう。この賞は、その後、八田與一を書いた古川勝三、伊能忠敬を書いた井上ひさし、ローマ人の物語を書いた塩野七生などが受章している。2010年に出張で台湾の八田ダムを訪問したときに私が読んだ古川勝三の本がこの賞を受賞していたことを思い出した。その第一回受賞者が田村喜子だったのだ。

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