6月20日 早坂茂三(政治評論家)

世間に媚びを売らず、背伸びせず、自分を深く耕して一芸を身につけ、淡々とわが道を進む

早坂 茂三(はやさか しげぞう、1930年6月25日 – 2004年6月20日)は、日本の政治評論家。

早坂茂三の人生の軌跡を眺めると、「背伸びせず、自分を深く耕して一芸を身につけ」ることに邁進した人だったと思う。それは、自分をよく知り、わきまえて、自分をよく知る人とともに歩んだ早坂という男の人生観と処世術である。深い共感を覚える。

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6月19日 美川英二(ラグビー選手)

交際費をたくさん使って一流の人達と一流の場所でたくさん会いなさい。そうすれば人を見極める力が養えるはずだ

美川 英二(みかわ えいじ、1933年8月17日 – 1999年6月19日)は、日本のラグビー選手、実業家。横河電機社長。

美川の言うように、組織のトップになると一流の人との接触による鮮度の高い情報入手と人物の見極め、そしてトップのあり方への示唆が、直接・間接に業績に直結するようになる。美川英二の葬儀時の奥様は「英二は戦士の如く働いたと思います。最後だけは私の我侭をお願いして家族だけで過ごすことが許されました」とお礼の言葉を述べた。何か切ない気もする。

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6月18日 山本直純(作曲家、指揮者)

直純死すとも音楽死せず

山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 – 2002年6月18日)は、日本の作曲家、指揮者。

山本直純はクラシック音楽の大衆化による人々の民度をあげ、幸福度をあげる仕事をライフワークにして、その道を迷うことなく歩んだようだ。確かに「直純死すとも音楽死せず」だ。山本直純は大衆の中に生きている。大衆に音楽に親しむきっかけを与えた影響力の大きい偉い人である。

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6月17日 宿沢広朗(ラグビー選手)

銀行が必要ないと言えば、ラグビーに賭ける覚悟はある。ただ、両方やっていないと、価値がないんじゃないかと思う

宿沢 広朗(しゅくざわ ひろあき、1950年9月1日 – 2006年6月17日)は、埼玉県出身の元ラグビー選手、ラグビー日本代表監督。

日本の代表的銀行で出世を果たしながら、ラグビー監督としても大活躍するという二足の草鞋、いや現代流にいえば正真正銘の「二刀流」を見事に成功させた。宿沢は両方をギリギリまでやることに価値があると考えたのだ。この心構えとそれをやり遂げたのは見事だ。スポーツ関係者の不祥事が続く中、登山中に心筋梗塞を発症し55歳で急逝した宿沢がそのまま突き進んでいたら、どのような生涯を送っただろうかと同世代の英雄の姿を想像する。

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6月16日 住井すゑ(小説家)

生きるとは創造すること

住井 すゑ(すみい すえ、1902年1月7日 – 1997年6月16日)は、奈良県出身の小説家。享年95。

56歳からライフワークに本格的に取り組んだ住井すゑは、書くのが面白くて朝は寝ていられずに書きまくった。その時間が青春のときであった。長い準備期期間を過ごした後に、創造の喜びを手にし、古事記にかわる歴史を完成させたのだ。その勇気と気概に敬服する。

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6月15日 十四代目 酒井田柿右衛門(陶芸家)

職人は不器用な人がいい

14代目 酒井田 柿右衛門(14だいめ さかいだ かきえもん、1934年8月26日 – 2013年6月15日)は、有田焼を代表する陶芸家で、“酒井田柿右衛門”の14代襲名者。

小さな湯呑み茶碗でも数十人の職人が要る。技術の連鎖、職人の連鎖が連なって小さな湯呑み茶碗を完成させる。一人前の職人になるには20歳からはじめて50歳になるくらいまで努力が必要であり、ロクロが一人前にひけるには少なくとも20-30年はかかるのだ。作家は自分自身の世界を築くことが目的であり、職人の修行とは違う。職人は不器用な人がいい。「作家先生になるのか、窯のオヤジになるのか」、は名窯に生まれた者への宿命の問いだ。器用な人はなかなか根気が続かない。不器用な人は修行という態度で一心に時間と労力を注ぐ。落語など伝統芸能の世界でも同じ言葉を聞く。不器用は一種の才能だ。

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6月14日 谷岡ヤスジ(漫画家)

『鼻血ブー』『アサー!』『オラオラオラ』

谷岡 ヤスジ(たにおか ヤスジ、男性、1942年8月29日 – 1999年6月14日)は、日本の漫画家。

登場キャラクターは殺されてもすぐに復活するし、作風はエログロナンセンスであっても、谷岡の作品の底流に流れているのは、どうしようもない人間という存在にに対する深い愛情のように思える。

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6月13日 村田英雄(演歌歌手、俳優)

足がなくても歌は歌える

村田 英雄(むらた ひでお、1929年(昭和4年)1月17日 – 2002年(平成14年)6月13日)は、日本の演歌歌手、俳優。

NHK紅白歌合戦には1961年に初出場、1989年までに通算27回の出場を果たした。村田は野菜嫌いで肉食であったこともあり、その人生は「糖尿病との闘い」でもあった。35歳で糖尿病を発症。1996年には右膝下12センチで切断。2000年1月には左足も同様に切断し、車椅子生活となる。「足がなくても歌は歌える」は自ら鼓舞をした言葉である。生涯現役のまま、村田英雄の豪快な「人生劇場」は73年の幕を下ろした。

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6月12日 木村次郎右衛門(長寿の男性)

責任の重さみたいなのを痛感している。1日でも長く元気でありたい

木村 次郎右衛門(きむら じろうえもん、1897年(明治30年)4月19日 – 2013年(平成25年)6月12日)は、京都府京丹後市に在住していた長寿の男性である。

以上を総合すると、この人の長生きの秘訣は、体を使う農業、規則正しい生活、旺盛な好奇心、細い食の習慣、感謝の精神、、、などか。この人の肩書きに「長寿者」という肩書きがついているにのはびっくりした。生まれたのは19世紀の明治、15歳で明治が終わり、大正、昭和、そして終戦が48歳。それから戦後、平成、21世紀と生きぬく。存命人物のうち日本最高齢の男性になったとき、冒頭に掲げた言葉を語っている。記録保持をしている長寿者には長生きせねばならないという責任が生ずるのであろう。

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6月11日 原田利勝(明和地所創業者)

掃き溜めに一輪の花のような存在だった

原田利勝(1938年2月10日-2007年6月11日)は、明和地所創業者。

このような事実をみると、この企業には一論の花といわれた創業者・原田利勝という人物の創業の精神が生きている感じがする。

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