2月17日 シーボルト(医師、博物学者)

日本人は広々とした自然にひたって楽しむことを心から愛している

フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold, 1796年2月17日 – 1866年10月18日)は、ドイツの医師・博物学者。

1859年、日本を去って約30年後に追放令を解かれたシーボルトは長男を伴って再来日する。いねは32歳で日本初の産科医となっていた。日本では幕府の顧問となってアドバイスをするなど3年滞在している。長男はそのまま日本に残っている。シーボルトは帰国後も日本のために様々な計画を練っている。70歳で没する前「わたしは平和の国へ行く」とつぶやいたという。それは日本のことだろう。亡くなったのは1866年だから明治維新の直前である。

【久恒啓一】
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