1月18日 森田正馬(医学者、精神科神経科医)

生きとし生けるものには生命の力と向上発展の欲望がある

森田 正馬(もりた まさたけ、通称:しょうま、1874年1月18日 – 1938年4月12日)は、日本の医学者、精神科神経科医。

「生物はみなそれぞれの分に応じ、心身ともに念々刻々、その最良の方法による活動と営々の努力によって、実に永遠無窮の進化発展をしているように思われる」という森田は、常によき未来に向かって向上発展するというDNAが生物には存在していると確信していたのであろう。それは種でも、個体でも同じである。「ただ向上一路」あるのみだ。

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1月17日 ベンジャミン・フランクリン(政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者)

汝の仕事を追え。さもなくば仕事が汝を追うであろう

ベンジャミン・フランクリン(グレゴリオ暦1706年1月17日(ユリウス暦1705年1月6日) – 1790年4月17日)は、アメリカ合衆国の政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者。
印刷業で成功を収めた後、政界に進出しアメリカ独立に多大な貢献をした。現在の米100ドル紙幣に肖像が描かれている他、ハーフダラー銀貨にも1963年まで彼の肖像が使われていた。

時間に追われ、仕事に追われる。そこから逃れる道は、時間を使いこなし、仕事を追いかけることだ。受け身からの脱却である。

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1月16日 伊藤整(小説家、詩人、文芸評論家、翻訳家)

真実な人間とは自己の青春を終えることのできない人間だと言ってもいい

伊藤 整(いとう せい、1905年(明治38年)1月16日 – 1969年(昭和44年)11月15日)は、日本の小説家、詩人、文芸評論家、翻訳家。本名は伊藤 整(いとう ひとし)。日本芸術院会員。社団法人日本文藝家協会理事、東京工業大学教授、社団法人日本ペンクラブ副会長、財団法人日本近代文学館理事長などを歴任した。

伊藤整の人生遍歴を眺めると、東京商科大学中退後は、金星道編集部、日大講師、新潮社文化企画部長、帝国産金(株)工場、北海道帝大予科講師、日本文芸協会理事、早稲田大講師、東京工大専任講師、教授、日本ペンクラブ副会長、日本文学館理事長、、、など常に変化していることがわかる。自己の青春を終えることのない真実の人間であった。

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1月15日 平櫛田中(彫刻家)

六十、七十洟垂れ小僧、男盛りは百から百から

平櫛 田中(ひらくし(又は ひらぐし) でんちゅう、明治5年1月15日(1872年2月23日) – 昭和54年(1979年)12月30日)は、日本の彫刻家。本名は平櫛倬太郎。旧姓は田中。井原市名誉市民(1958年)、福山市名誉市民(1965年)、小平市名誉市民(1972年)。

98歳で小平市に転居し向こう 30年間は創作活動を続けられるよう原木を用意してあった。ということは、130歳まで仕事の予定があったということになる。それを証明するような逸話もある。同じく天心の薫陶を受けた日本画の横山大観、地唄舞の武原はん、そして画家・丸木スマの彫刻をつくろうとしていたのだ。

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1月14日 三鬼隆(日本製鐵・八幡製鐵元社長、経営者団体連盟会長)

自分たちの目の黒いうちに必ずまた合同しようではないか

三鬼隆(みき たかし、1892年1月14日 – 1952年4月9日)は、日本製鐵・八幡製鐵(現・新日鐵住金)元社長。鉄鋼業界の大御所だった。第二代日本経営者団体連盟会長。岩手県花巻市出身。父は実業家・政治家の三鬼鑑太郎。長男は元新日本製鐵会長の三鬼彰。

この言葉は、三鬼が分割された八幡製鐵初代社長となった時に発した言葉である。三鬼の目が黒いうちには叶わなかったが1970年、八幡製鐵と富士製鐵が合併し、新日本製鐵株式會社となった。三井物産の統合を志した水上達三も同じだが、統合という志が人々を結びつけ奮い起こした。リーダーの発する志が組織の命運を握っている。

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1月13日 大森実(ジャーナリスト)

日本はまだ、米国から完全に独立していない。戦争の清算は済んでいないんだ。そろそろ真の独立をするべきだ

大森 実(おおもり みのる、1922年1月13日 – 2010年3月25日 日本時間3月26日)は日本のジャーナリスト。兵庫県神戸市出身。ボーン国際記者賞(1960年) 、UCLA国際ジャーナリスト賞 、日本新聞協会賞を受賞。

国際ジャーナリストの魁であった大森実は、毎日新聞のスター記者として、また独立ジャーナリストとして、そしてカルフォルニア大学の教授として、日本とアメリカの関係をみつめていた。冒頭の言葉は最晩年に友人に語った言葉だ。遺言である。

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1月12日 岡田三郎助(洋画家)

残るものは絵だけだよ。絵かきはそれで能(よ)いのだよ

岡田 三郎助(おかだ さぶろうすけ、明治2年1月12日(1869年1月22日) – 昭和14年(1939年)9月23日)は佐賀県に生まれ、明治~昭和にかけて活躍した洋画家である。女性像を得意とし、日本的な感覚の洋画に秀作を残している。東京美術学校(現・東京藝術大学)教授。第1回文化勲章を受章。 妻・岡田八千代は小説家・劇作家で、小山内薫の妹である。

画家、小説家など作品を創りあげる仕事は、その人の言動よりも、残した作品が重要だ。長く残り後世にも影響を与えるのは、画家の場合は絵である。岡田の寡黙はそういう考えの発露であろう。研究者として書籍を書くのも同じことが言える。後世に残る作品をものしたかという問いをかみしめたい。

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1月11日 きだみのる(小説家、翻訳者)

一番重要なことは長生きだ。、、長生きすれば、いま生きている連中の正誤がわかる

きだ みのる(本名・山田吉彦、1895年(明治28年)1月11日 – 1975年(昭和50年)7月25日) は、鹿児島県奄美大島出身の小説家、翻訳者。代表作『気違い部落』シリーズは映画化もされた。

当時日本も前のめりになったイラク戦争は後になって大義のないことが判明した。2017年に100年を迎えるロシア革命によるソ連邦の崩壊も意外な結末だった。中国の文化大革命の評価も同様だ。時間の経過とともにしだいに真実がわかってくる。生きているわずかの時間では事件の意味や正誤はなかなか分からない。どのような分野においても歴史の審判を見届けるには時間がかかる。

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1月10日 高山樗牛(文芸評論家、思想家)

己の立てるところを深く掘れ、そこには必ず泉あらむ

高山 樗牛(たかやま ちょぎゅう、 明治4年1月10日(1871年2月28日) – 明治35年(1902年)12月24日)は明治時代の日本の文芸評論家、思想家。東京大学講師。文学博士。明治30年代の言論を先導した。31歳で夭折。

狷介でなかなかの難物だった高山樗牛だが、冒頭の言葉には惹かれる。己の立っている場所しか掘ることはできない。そこを深く、深く掘り進める。地下水に到達すると、その水はあらゆる分野につながっていることを発見する。それがわかるか、わからないかが勝負なのだ。

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1月9日 リチャード・ニクソン(政治家、第37代アメリカ合衆国大統領)

自分が大統領を狙わず、大統領職に自分を狙わせる。これこそ大統領になる最大のコツではないだろうか

リチャード・ミルハウス・ニクソン(Richard Milhous Nixon, 1913年1月9日 – 1994年4月22日)は、アメリカ合衆国の政治家。第37代アメリカ合衆国大統領。ニクソン大統領は、ベトナム戦争からの完全撤退、冷戦下のソ連とのデタント(緊張緩和)、中国との国交樹立などに尽力した。

1960年の大統領選では、選挙人の多い州を重点に回る選挙戦略をとったライバルのケネディに敗れたニクソンは、臥薪嘗胆の日々を送り、大統領職が自分をターゲットにするまでに自分を鍛えていった。1968年の大統領選で当選し第37代の大統領に当選する。ポストにふさわしい実力をつけることが、ポストにつくための戦略ということになるだろうか。

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