12月31日 林芙美子(小説家)

花の命は短くて苦しきことのみ多かりき

林 芙美子(はやし ふみこ、1903年(明治36年)12月31日 – 1951年(昭和26年)6月28日)は、日本の小説家。

林芙美子は仕事を断らない働きぶりだった。それが47歳で寿命を尽きさせた。まさに自身が書いた代表作『放浪記』にあるように「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき 」であった。芙美子の短い生涯が二重写しとなって切なくなる想いがする。林芙美子は、新聞、雑誌の連載、や短編小説以外にも、随筆、紀行文の執筆、座談会、講演など仕事が多かった仕事を断ることを知らない働きぶりだった。このことが芙美子の寿命を尽きさせていったのである。

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12月30日 小杉放庵(洋画家)

東洋にとって古いものは、西洋や世界にとっては新しい

小杉 放庵(こすぎ ほうあん、1881年(明治14年)12月30日 – 1964年(昭和39年)4月16日)は明治・大正・昭和時代の洋画家。

時間的に古いものは現代に於いては新しい感覚にあふれている、ということがよくある。異質の空間の接触においては、古いものを新しいと感じることがよくある。相手の文化にないものは自分たちには古くても相手に変化を与えてくれる。時間の流れと空間の広がりの中で、対象と筆法を変化させていく、それが芸術の醍醐味だろう。芸術は進化しない、ただ変化するだけだ。

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12月29日 グラッドストン(政治家)

いつまでも若くありたいと思うなら、青年の心をもって心としなければならない

ウィリアム・ユワート・グラッドストン(英語: William Ewart Gladstone [ˈwɪljəm ˈjuːwɑːt ˈglæd.stən], FRS, FSS、1809年12月29日 – 1898年5月19日)は、イギリスの政治家。

グラッドストンの初組閣は58歳であり、第四次内閣の最後は85歳だった。晩年の写真をみると、鷹のような鋭い目でこちらを睨んでいる表情が印象的だ。本人の言うようにグランドストンは青年の心を持ち続けていたのだろうと、納得する。

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12月28日 石原裕次郎(俳優、歌手)

美しき者に微笑を 淋しき者に優しさを 逞しき者に更に力を 全ての友に思い出を 愛する者に永遠を 心の夢醒める事無く

石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう、1934年(昭和9年)12月28日 – 1987年(昭和62年)7月17日)は、日本を代表する俳優、歌手。

冒頭の言葉は、墓碑に夫人(北原三枝)の直筆で刻まれている言葉である。自身の存在と仕事で、微笑と優しさと力と想い出と永遠という素晴らしい影響を与えた裕次郎は、俳優業については、しばしば「男子一生の仕事にあらず」と語っていたというが、俳優をはるかに越える「裕次郎」という国民的存在になったのである。

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12月27日 松平定信(大名、老中)

いや、こういう時こそ、人心を一新する絶好の機会だ。不幸をかえって幸いとすべきだ

松平 定信(まつだいら さだのぶ、宝暦8年12月27日(1759年1月25日)-文政12年5月13日(1829年6月14日))は、江戸時代中期の大名、老中。陸奥白河藩第3代藩主。定綱系久松松平家第9代当主。江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の孫に当たる。

白河藩主となった夏の浅間山の噴火による降灰、利根川の洪水、冷夏などによる、凶作で餓死者があふれた状況で、家臣が悪い時期に家督を相続されましたなと言ったときに、定信はかぶりをふって冒頭の言葉を吐いた。そして率先垂範して質素倹約につとめ、また人口増加策などを実施し大きな成果をあげている。環境、状況が悪いときこそは、改革のチャンスなのだ。

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12月26日 五代友厚(武士(薩摩藩士、実業家)

仕事は命がけや。死んでも仕事は残る。そういう仕事をせなあかん

五代 友厚(ごだい ともあつ。天保6年12月26日(1836年2月12日-1885年9月25日)は、江戸時代末期から明治時代中期にかけての日本の武士(薩摩藩士)、実業家。

「地位か名誉か金か、いや、大切なのは目的だ」という五代友厚は、死んでも残る仕事として、大阪経済の近代化という大きな目的に立ち向かった。「死んでも五代の築いた大阪は残る」と語り、実際に歴史に名を刻んでいる。後に残る仕事をしようとしているか、そして自分に負けずに達成したか、それが問題なのだ。五代友厚の生き方と残した言葉には、強く迫ってくるものがある。

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12月25日 白隠慧鶴(禅僧)

煩悩即菩提

白隠 慧鶴(はくいん えかく、貞享2年12月25日(1686年1月19日) – 明和5年12月11日(1769年1月18日))は、臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧である。

子どもの頃に聴かされた地獄の責め苦が恐ろしくこれを避けるために出家を決心し、大悟するまで、白隠は悩み、苦しむ、増上し、慢心する。その折々に励ました、また戒めた言葉がある。それが道中の工夫は静中に勝ること百千億倍であるという意味の「道中工夫」と、「煩悩即菩提」である。この意味は「大きな迷いがあれば、大きな悟りがある。問題のないところに答えはない」である。迷いのない人生は悟りのない人生だ。できるだけ大きく迷え。大きな迷いが大きな悟りを得た白隠をつくったのだ。気を楽にして大いに迷おうではないか。

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12月24日 鈴木貫太郎(海軍軍人、政治家)

永遠の平和、永遠の平和

鈴木 貫太郎(すずき かんたろう、慶応3年12月24日(1868年1月18日) – 昭和23年(1948年)4月17日)は、日本の海軍軍人、政治家。

死の直前には「永遠の平和、永遠の平和」と非常にはっきりした声で二度繰り返したという。関宿町の実相寺に葬られた遺灰の中には二・二六事件の時に受けた弾丸が混ざっていた。総理退任後に住んだ千葉県野田市の質素な家が記念館になっている。そこで永遠の平和のために尽力した鈴木貫太郎を偲びたい。

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12月23日 森戸辰男(学者、社会思想家、教育者)

何といっても教育の中心は教師です。いかによい制度ができても、いくらよい指導精神が紙の上ででき上がりましても、いくらよいカリキュラムや教育方法が考案されましても、よい教師がいなければよい教育は行えません

森戸 辰男(もりと たつお、1888年(明治21年)12月23日 – 1984年(昭和59年)5月28日)は、日本の学者、社会思想家、教育者(初代広島大学学長)、政治家(文部大臣)。

その森戸の教育論の中心は「よい教師」を創り出すことだった。制度、カリキュラム、教育方法などのインフラも重要だが、やはり教育は現場の教師の教育力に依るところがもっとも大きい。いかにして「よい教師」になるかは、教育現場にいる者の最大のテーマだ。

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12月22日 神永昭夫(柔道家)

人並みにやっていたら、人並みにしかならない

神永 昭夫(かみなが あきお、1936年12月22日 – 1993年3月21日)は日本の柔道家(講道館9段)。

東北高校時代から柔道を始めた遅い出発の神永は猛稽古で精進を重ねた。確かに「人並みにやっていたら、人並みにしかならない」。神永の残した言葉をみると、明治大学柔道部監督として後進を育てたように、教育者的資質にあふれた柔道家であり、「勝負はいつでも負けから始まる。弱さを知ったときから技の工夫が始まるんだ」との言葉どおり、神永、上村、山下、、へとつながる柔道界の道筋をつけた功績には大きいものがある。

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