9月24日 玉木文之進(教育者、兵学者)

一日勉学を怠れば国家(藩)の武は一日遅れることになる

玉木 文之進(たまき ぶんのしん。1810年(文化7年)9月24日-1876年11月16日)は、幕末の長州藩士で教育者・山鹿流の兵学者。松下村塾の創立者。

天保13年(1842年)に松下村塾を開いて、「痒み(かゆみ)は私。掻く(かく)ことは私の満足。それを許せ長じて人の世に出たとき私利私欲をはかる人間になる」などと、少年期の松陰を厳しく教育した。また親戚の乃木希典も玉木が教育している。自分の研鑽が一日遅れればその分国家の進みが一日遅れる。幕末から明治にかけての青年たちの気概が明治国家を形づくった。日露戦争海軍参謀の秋山真之しかり、その他あらゆる分野で自分が一日怠ければ日本が遅れるとの決意で研鑽をした青年たちが短期間で近代化を成し遂げた。その原形は、松下村塾で青年たちを鼓舞した吉田松陰を少年期に訓育した玉木文之進のこの言葉にあったのか。

【お知らせ】
ビジネスパーソンのための音声講座『ビジネスに活かす偉人の名言』はこちらから!
https://meigen.koelab.net/

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ