12月8日 嵐寛寿郎(映画俳優、映画プロデューサー)

この世界には、一つきり思想あらしまへん、ウンおもろいやないか、よっしゃ、それゆこう、と

嵐 寛壽郎(あらし かんじゅうろう、新字体:寛寿郎、1902年12月8日 – 1980年10月21日)は、日本の映画俳優、映画プロデューサーである。

私生活では5回の結婚と4回の離婚とを繰り返したが、別れるたびに前妻に全財産と家屋敷を譲り渡していた。 金銭面には無頓着で、生涯遊べるだけの金を稼ぎながら、財産はほとんど残さなかった。贅沢が嫌いで、衣装道楽も縁がなく、和服も2、3着より持たず、背広も靴も既製品、煙草はマッチ派だった。全盛期でも自宅から撮影所まで自家用車を使わず京福電鉄嵐山線を利用、戦後はもっぱら円タクを使った。嵐寛寿郎は俳優の仕事も私生活も「ウンおもろいやないか」の思想で過ごしたのである。

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【久恒啓一】
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