8月19日 尚泰王(琉球国王)

命どぅ宝(ぬちどうたから)

尚 泰王(しょう たいおう、1843年8月3日(道光23年7月8日) – 1901年(明治34年)8月19日)は、第二尚氏王統第19代にして最後の琉球国王(在位:1848年6月8日 – 1872年10月16日)、後に日本の華族として琉球藩王(在位:1872年10月16日 – 1879年4月4日)、侯爵。童名は思次良金。父は、第18代国王尚育王。

「命どぅ宝」とは、「命こそ宝。命は宝物であり、最も尊いもの」という意味の言葉である。沖縄の反戦運動で使われる言葉であるが、事故や病気等、広い意味で命を大切にしようという意味で使われている。命があれば希望が残る。最後の琉球王・尚泰が残したとされる悲痛な名言だ。

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8月18日 伊藤左千夫(歌人、小説家)

吾々が時代の人間になるのではない、吾々即時代なのだ。吾々以外に時代などと云うものがあって堪るものか。吾々の精神、吾々の趣味、それが即時代の精神、時代の趣味だよ

伊藤 左千夫(いとう さちお、元治元年8月18日(1864年9月18日) – 大正2年(1913年)7月30日)は日本の歌人、小説家。

冒頭に掲げた言葉のように、吾々自身が時代であると確信し高らかに宣言し、一つの時代を牽引した伊藤左千夫は、確かに短歌革新において正岡子規から斎藤茂吉・土屋文明を繋ぐ時代の役割を十分に果たした。しかし、晩年はその時代の流れに乗り遅れるのである。時代の流れに上手に棹さすことはことは難事である。伊藤左千夫が50歳の若さで没したのはむしろ幸いだったかもしれない。

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8月18日 豊臣秀吉(武将、大名、天下人)

一職を得れば一職、一官を拝すれば一官、心頭を離れず、ひたすらにそれをつとめしのみ、他に出世の秘訣なるものあらず

豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし、天文6年2月6日(1537年3月17日) – 慶長3年8月18日(1598年9月18日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名、天下人。関白、太政大臣、太閤。

日本史上最高の出世を果たした秀吉の出世の秘訣が冒頭の言葉である。秘訣は「置かれた場所で咲きなさい」だった。出世は、こういった心がけの結果に過ぎなかったという述懐である。

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8月17日 後藤静香(社会教育家、社会運動家)

本気ですればたいていな事はできる。本気ですれば何でも面白い。本気でしていると誰かが助けてくれる。人間を幸福にするために、本気で働いているものは、みんなで幸福で、みんな偉い

後藤 静香(ごとう せいこう、1884年8月17日 – 1971年5月15日)は、大分県出身の社会教育家、社会運動家である。

後藤静香の言葉を眺めていると、当時の青年・教育者・労働者が心酔したのがよくわかる気がする
現代でもスポーツ選手にファンが多いと聞く。後藤の問いかけには、気持ちを揺さぶるものがある。「どこまで行くつもりか」「言いうるものをつかんだか」「本気に考えてみよ」、、。「本気か?」という問いかけを自分にしてみよう。

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8月17日 新村出(言語学者、文献学者)

大器晩成ならぬ小器中成

新村 出(しんむら いずる、1876年(明治9年)10月4日 – 1967年(昭和42年)8月17日)は、日本の言語学者、文献学者。京都大学教授・名誉教授で、ソシュールの言語学の受容やキリシタン語の資料研究などを行った日本人の草分けである。

「私は中ぐらいを愛するんです」と新村はいっっている。器の小さい自分は中ぐらいの仕事でいいという考えなのだ。気負いがなくて好感がもてるが、本人の謙遜とは裏腹に成した業績は偉大だ。

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8月16日 菅原文太(俳優、声優)

人間、急いでおったらあんまりいいことない。足元見てマイペースを守っておったら、蹴躓くこともないわな

菅原 文太(すがわら ぶんた、1933年〈昭和8年〉8月16日 – 2014年〈平成26年〉11月28日)は、日本の俳優、声優、ラジオパーソナリティ・農業従事者である。

「チャールズ・ブロンソンとか亡くなったスティーブ・マックイーンなんか、大スターになったのは中年になってだからね。オレとおんなじだよ」という菅原文太は、急がず、マイペースを守って、やがて日本を代表する役者になった。そして晩年は憂国の士となって人々の記憶に残った。

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8月16日 河井継之助(武士)

人というものが世にあるうち、もっとも大切なのは出処進退の四文字でございます。そのうち進むと出づるは人の助けを要さねばならないが、処ると退くは、人の力をかりずともよく、自分でできるもの

河井 継之助(かわい つぎのすけ、正字体:繼之助、文政10年1月1日(1827年1月27日) – 慶応4年8月16日(1868年10月1日))は、江戸時代末期(幕末)の武士。越後長岡藩牧野家の家臣。「継之助」は幼名・通称で、読みは「つぎのすけ」。諱は秋義(あきよし)。号は蒼龍窟。禄高は120石。妻は「すが」

河井は「出処進退」に関するこの言葉を残している。どういう形でリーダーに選ばれるか、どういう形で退くか、これがあらゆる分野のリーダーの心すべき点である。出るときは人に推され、退くときは自ら決めよという出処進退の考え方があるように、リーダーの品格は、出処進退に顕れる。ある組織のリーダーを継続するか、退くかという状況に置かれたことがある。このときに去来したのが河井継之助のこの言葉だった。自分一人で決断し、驚く仲間を説得したことを思い出す。最近まで、出る、進む、退くはわかるが、「処」とは何かがよくわからなかったが、これは落ち着いてその場所や地位に留まることだろう。

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8月15日 ウォルター・スコット(詩人、小説家)

最良の教育とは、人が自分自身に与える教育である

初代准男爵サー・ウォルター・スコット(Sir Walter Scott, 1st Baronet, 1771年8月15日 – 1832年9月21日)は、スコットランドの詩人、小説家。ロマン主義作家として歴史小説で名声を博し、イギリスの作家としては、存命中に国外でも成功を収めた、初めての人気作家といえる。

スコットが言うように、教育は人から与えられるものだと考えていては成長はない。自分を教育する最大の人物は、自分自身なのだ。それがわかれば、生涯を通じて成長を続けることができる。

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8月15日 阿南惟幾(陸軍軍人)

戦争は味方が苦しい時は敵も苦しい。もはや退却という時に、突然敵が撤退するのは、戦場では珍しくない事例である。なによりも、戦意を失わぬことが肝要である

阿南 惟幾(あなみ これちか、1887年(明治20年)2月21日 – 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正三位勲一等功三級。1945年(昭和20年)4月に鈴木貫太郎内閣の陸軍大臣に就任した。太平洋戦争(大東亜戦争)末期に降伏への賛否を巡り混乱する政府において戦争継続を主張したが、聖断によるポツダム宣言受諾が決定され、8月15日に自害。「終戦の詔勅」が発せられた日、自決したのは、海軍では宇垣中将、陸軍では阿南大将。

この言葉は、軍事作戦の要諦である。将官の性格が軍事作戦の勝敗を決することがよくある。阿南大将の最後の振る舞いは、いろいろな解釈があるようだが、戦争の終わり方と関与した自分の終わり方という意味から考えさせるものがある。何事も始めるのはやさしいが、終わり方は実に難しい。

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8月14日 藤井康男(実業家、生化学者、文筆家)

問題を絶えず追求する人間にとって、オフ・ビジネスの時にひらめきを見いだす例が多い

藤井 康男(ふじい やすお、1930年8月14日 – 1996年11月10日)は、日本の実業家、生化学者、文筆家。

企業が生み出す商品やサービスに、知識や技術の貢献が大きくなってくるにつれて、働く時間の長さは成果には反映しなくなっている。そのことを1980年代から語ってきた藤井康男がビジネス雑誌に書く主張を若い時代に読んでいた記憶がある。問題解決のひらめきは、仕事から離れた場面で手に入れることがよくある。それは遊びに熱中しているときや、異分野の人とつきあっているときだ。現代においてはソフトの比重が高まっている仕事とは問題を扱うことであり、その解決のヒントはオフの過ごし方にあるのだ。

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