6月15日 今西錦司(生態学者、文化人類学者、登山家)

君たちがいる。そしてわしがいるではないか。われわれにやれなくて、だれがやるのだ

今西 錦司(いまにし きんじ、1902年1月6日 – 1992年6月15日)は、日本の生態学者、文化人類学者、登山家。京都大学名誉教授、岐阜大学名誉教授。日本の霊長類研究の創始者として知られる。理学博士(京都帝国大学、1939年)。京都府出身。

この言葉は、巡ってきた大興安嶺探検を決定した時のものである。このリーダーの言葉で梅棹、川喜田などの探検部のメンバーが奮い立った。このとき、この探検の成功が約束されたのである。

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6月14日 藤沢秀行(囲碁の棋士)

定石どおりの人生を生きて何がおもしろいのか

藤沢 秀行(ふじさわ ひでゆき、ふじさわ しゅうこう、1925年6月14日 – 2009年5月8日)は、囲碁の棋士。棋聖、名人、王座、天元などのタイトルを獲得。名誉棋聖。

秀行(しゅうこう)さんの人生の軌跡を追うと、定石に従ってないことがよくわかる。勝負師らしい破天荒な生活を意図した日々だったのだろう。「異常感覚」「華麗・秀行」と言われた棋風のように、最後の無頼派として面白く一生を過ごした。それが多くの人を惹きつけた。やはり定石どおりの人生は面白くない。

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6月14日 マックス・ウェーバー(社会学者、経済学者)

自己を滅しておのれの課題に専心する人こそ、その仕事の価値の増大とともにその名を高める結果を得る

ウェーバー(1864年4月21日 – 1920年6月14日)はドイツの社会学者・経済学者。近代社会科学方法論の確立者であるとともに、宗教と社会との関係を論じた第一人者。特に著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は有名。

最近の政治の世界に見られる出処進退の悪さや、経済の世界での度重なる不祥事をみていると、ウェーバーの以上の言葉は予言のように響く。「倫理と精神」という社会の基盤が揺らぐことこそが危機である。

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6月13日 白瀬矗(陸軍軍人、南極探検家)

酒を飲まない。煙草を喫わない。茶を飲まない。寒中でも火にあたらない

白瀬 矗(しらせ のぶ、文久元年6月13日(1861年7月20日) – 昭和21年(1946年)9月4日)は、日本の陸軍軍人、南極探検家。

南極探検後、帰国した白瀬は4万円(現在の1.5ー2億円)の負債を一人で背負うことになる。この返済のために全国行脚の講演を行って全額を返済するため、極度の貧乏生活を送っている。「恵まれぬ 我が日の本の探検家、パンを求めて処々転々」とは悲しい歌である。辞世の歌は「我なくも 必ず捜せ南極の 地中の宝世にいだすまで」であった。1955年にベルギーで開かれた国際地球観測年に関わる南極会議で、当初は反対が多かったが、日本は白瀬隊の実績を述べて南極基地を設けて観測に参加することができたのである。「何とでも言え、世間の毀誉褒貶というものは、雲か霧のようなものだ。山が泰然としていれば、雲や霧が動いたとて、何ほどのことがあろう。やがて晴れる時が来るに違いない」と語っていたように、白瀬の志は死後に実った。

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6月13日 北里柴三郎(医学者、細菌学者)

終始一貫

北里 柴三郎(きたさと しばさぶろう、1853年1月29日(嘉永5年12月20日) – 1931年(昭和6年)6月13日)は、日本の医学者・細菌学者である。従二位・勲一等旭日大綬章・男爵・医学博士。

北里柴三郎の人生の軌跡を追うと、「終始一貫」した人物像が鮮やかにイメージできる。志を立てた日々から、リーダーとして日本医学界の礎を築くまで、北里は終始一貫していた。この言葉の重みを改めて感じる。

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6月12日 太田昌秀(政治家、社会学者)

日本本土の『民主改革』は沖縄を米軍政下に置くことが前提で成立したものであり、その立場から日本の戦後を問わなければならない

大田 昌秀(おおた まさひで、1925年6月12日 – 2017年6月12日)は、日本、沖縄の政治家、社会学者。元沖縄県知事、元社会民主党参議院議員。琉球大学名誉教授。特定非営利活動法人沖縄国際平和研究所理事長。沖縄県島尻郡具志川村(現・久米島町)出身。

日本本土の「民主改革」は沖縄を米軍政下に置くことが前提で成立したものであり、その立場から日本の戦後を問わなければならないという大田昌秀は、ガンジーとキング牧師を尊敬し、折に触れて二人の本を愛読している。「改憲されると戦後日本の民主主義は死滅する」という真摯な態度と表情は胸を打つものがある。

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6月12日 大平正芳(大蔵官僚、政治家)

着々寸進、洋々万里

大平 正芳(おおひら まさよし、1910年(明治43年)3月12日 – 1980年(昭和55年)6月12日)は、日本の大蔵官僚、政治家。

大平は大向こうをうならせるような言葉は吐かない。一歩一歩少しずつ着実に歩を進める。一挙の改革では無く小さな改善を継続する。そうすると万里を超えて、大洋に届くというのが信条であった。そして反対派は大きく飲み込み解毒し消化するという大いなる妥協の精神。この大平の生き方、考え方が、本来の保守の姿である。

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6月11日 豊田喜一郎(経営者、技術者、豊田自動車創業者)

技術者は実地が基本であらねばならぬ。その手が昼間はいつも油に汚れている技術者こそ、真に日本の工業の再建をなし得る人である

豊田田 喜一郎(とよだ きいちろう、1894年6月11日 – 1952年3月27日)は、日本の経営者、技術者、豊田自動車創業者。

豊田喜一郎は「一旦トヨタから出した車は、何処が悪くても全責任を負わなければなりません。それを他の部分に罪を着せずに、自家製品の悪いところを言い逃れの出来ぬ様にさせると云う事は、自分自身の製品に自信をつける最も大事な事であります」、そして「今日の失敗は、工夫を続けてさえいれば、必ず明日の成功に結びつく」と語っている。喜一郎が育てた技術陣の毎日の工夫の連続が、今日の「世界のトヨタ」に結実するのである。一人の人が志を抱いて一事に専心し、時代を超えて継続することで、隆々たる大事がなる。そういうことを豊田喜一郎の技術者人生は教えてくれる。

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6月11日 梁瀬長太郎(実業家)

その人の幸せ、不幸を決めるのは、『でも』か、『では』だ

梁瀬 長太郎(やなせ ちょうたろう 1879年〈明治12年〉12月15日- 1956年〈昭和31年〉6月11日)は、日本の実業家。株式会社ヤナセの創業者として知られる。

「でも」が口癖の人は、何もやらない。「では」という言葉を常に使っている人は、何かをやるだろう。その口癖が未来を決めるのだ。

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6月10日 田能村竹田(文人画家)

筆を用いて工みならざるを患えず、精神の到らざるを患う

田能村竹田(たのむら ちくでん、安永6年6月10日(1777年7月14日) – 天保6年8月29日(1835年10月20日))は、江戸時代後期の南画(文人画)家。旅を好み日本各地を遊歴。詩文を得意とし画論『山中人饒舌』などを著した。

田能村竹田の過ごした旧・竹田壮の近くにある竹田資料館で「筆を用いて工みならざるを患えず、精神の到らざるを患う」(山中人饒舌)という言葉を発見。田能村竹田の絵ができあがるには、対象を見ては直し見ては直しするなど研究に研究を重ねる苦心が込められており、それが完璧な描写になってあらわれるのである。田能村竹田は精神修行者であり、それが優れた絵や詩や書に結実したのだろう。

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