6月18日 宇治山哲平(美術家)

私は形象と色彩によって抜きさしできぬ煌くような象徴の世界を打ち立てたい

宇治山 哲平(うじやま てっぺい、1910年9月3日 ‐ 1986年6月18日)は、日本の美術家。始め木版画を主に制作するが後に油彩の抽象画に転向。輝いた栄誉には第12回毎日芸術賞をはじめ、第32回西日本文化賞などがある。

「○△□による華厳世界」の創造という宇治山の画業は、私のテーマとも通づる。煌めくような象徴の世界を打ち立てたいものだ。

【お知らせ】
この番組のもとになった書籍『偉人の命日366名言集―人生が豊かになる一日一言』をポッドキャストリスナーへ特別価格で販売いたします。
久恒啓一オンライン書店』(https://hisatune.official.ec/items/9322532)にアクセスして、クーポンコード入力欄に『MEIGEN』と入力いただくと500円引きでご購入いただけます。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

6月17日 臼井吉見(編集者、評論家、小説家)

教育の中軸は自己教育だと思いますが、その自己教育の中核は、自分と異質の人間との対話です

臼井 吉見(うすい よしみ、1905年6月17日 – 1987年7月12日)は、日本の編集者、評論家、小説家、日本藝術院会員。

同質の仲間との交流は心が休まるが、それでは成長は望めない。常に新しい空間に身を置き、自分とは異質の人たちとの遭遇を求めて行動しよう。自分は自分自身を鍛える最高の教育者なのだから。

【お知らせ】
ビジネスパーソンのための音声講座『ビジネスに活かす偉人の名言』はこちらから!
https://meigen.koelab.net/

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

6月17日 松下竜一(小説家、歌人)

だれかの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬ

松下竜一(まつした りゅういち、1937年(昭和12年)2月15日 – 2004年(平成16年)6月17日 )は、日本の小説家、歌人。

ラジカルに、つまり根本から、文明のあり方を問うたこの松下竜一の言葉は重い。

【お知らせ】
この番組のもとになった書籍『偉人の命日366名言集―人生が豊かになる一日一言』をポッドキャストリスナーへ特別価格で販売いたします。
久恒啓一オンライン書店』(https://hisatune.official.ec/items/9322532)にアクセスして、クーポンコード入力欄に『MEIGEN』と入力いただくと500円引きでご購入いただけます。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

6月16日 松本良順(医師)

病人を救うのは医師としての義務である

松本良順(天保3年6月16日(1832年7月13日-明治40年(1907年)3月12日)は、江戸末期から明治期の医師。大日本帝国陸軍軍医総監(初代)。

冒頭の言葉は、若き日に指導を受けた師匠・ポンペの言葉である。今では当たり前のように聞こえるが、幕末の時代にあっては、人の身分は問わず、病人を救うのは医者としての役目だという思想は新しかった。そのポンペの思想を生涯守り、発展させ日本医学界の基礎を松本良順は固めた。

【お知らせ】
ビジネスパーソンのための音声講座『ビジネスに活かす偉人の名言』はこちらから!
https://meigen.koelab.net/

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

6月16日 松永安左エ門(財界人、政治家、美術コレクター、茶人)

小さな妥協は小さな人物でもできるが、大きな妥協は大きな人物にならなければできない

松永 安左エ門(松永 安左衞門、まつなが やすざえもん、1875年(明治8年)12月1日 – 1971年(昭和46年)6月16日)は、「電力王」「電力の鬼」と言われた日本の財界人。政治家(帝国議会衆議院議員1期)。美術コレクター、茶人としても知られ、耳庵(じあん)の号を持つ近代小田原三茶人の一人。

この人は信念の人であったと同時に、妥協の天才でもあったのではないか。事業を起こし推進し成功させるには、小さな妥協、中くらいの妥協、大きな妥協など、妥協の連続であっただろうことは想像に難くない。60歳からの茶人としての生き方は、大きな人物に向っての修行でもあっただろう。

【お知らせ】
この番組のもとになった書籍『偉人の命日366名言集―人生が豊かになる一日一言』をポッドキャストリスナーへ特別価格で販売いたします。
久恒啓一オンライン書店』(https://hisatune.official.ec/items/9322532)にアクセスして、クーポンコード入力欄に『MEIGEN』と入力いただくと500円引きでご購入いただけます。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

6月15日 空海(僧)

物の興廃は必ず人に由る。人の昇沈は定めて道に在り

空海(くうかい、宝亀5年(774年) – 承和2年3月21日(835年4月22日))は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。

司馬遼太郎の『空海の風景』、高村薫の『空海』を読んでも、空海は大きくて何か漠としている。空海の人間像はなかなか鮮明な像を結ばない。「物の興廃は必ず人に由る。人の昇沈は定めて道に在り」とは、人間としての正しい道を歩む人は浮かぶ。そういった人が集団を栄えさせる。そういうようにまずは理解しておこう。高野山を一度訪ずれなければならない。

【お知らせ】
ビジネスパーソンのための音声講座『ビジネスに活かす偉人の名言』はこちらから!
https://meigen.koelab.net/

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

6月15日 今西錦司(生態学者、文化人類学者、登山家)

君たちがいる。そしてわしがいるではないか。われわれにやれなくて、だれがやるのだ

今西 錦司(いまにし きんじ、1902年1月6日 – 1992年6月15日)は、日本の生態学者、文化人類学者、登山家。京都大学名誉教授、岐阜大学名誉教授。日本の霊長類研究の創始者として知られる。理学博士(京都帝国大学、1939年)。京都府出身。

この言葉は、巡ってきた大興安嶺探検を決定した時のものである。このリーダーの言葉で梅棹、川喜田などの探検部のメンバーが奮い立った。このとき、この探検の成功が約束されたのである。

【お知らせ】
この番組のもとになった書籍『偉人の命日366名言集―人生が豊かになる一日一言』をポッドキャストリスナーへ特別価格で販売いたします。
久恒啓一オンライン書店』(https://hisatune.official.ec/items/9322532)にアクセスして、クーポンコード入力欄に『MEIGEN』と入力いただくと500円引きでご購入いただけます。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

6月14日 藤沢秀行(囲碁の棋士)

定石どおりの人生を生きて何がおもしろいのか

藤沢 秀行(ふじさわ ひでゆき、ふじさわ しゅうこう、1925年6月14日 – 2009年5月8日)は、囲碁の棋士。棋聖、名人、王座、天元などのタイトルを獲得。名誉棋聖。

秀行(しゅうこう)さんの人生の軌跡を追うと、定石に従ってないことがよくわかる。勝負師らしい破天荒な生活を意図した日々だったのだろう。「異常感覚」「華麗・秀行」と言われた棋風のように、最後の無頼派として面白く一生を過ごした。それが多くの人を惹きつけた。やはり定石どおりの人生は面白くない。

【お知らせ】
ビジネスパーソンのための音声講座『ビジネスに活かす偉人の名言』はこちらから!
https://meigen.koelab.net/

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

6月14日 マックス・ウェーバー(社会学者、経済学者)

自己を滅しておのれの課題に専心する人こそ、その仕事の価値の増大とともにその名を高める結果を得る

ウェーバー(1864年4月21日 – 1920年6月14日)はドイツの社会学者・経済学者。近代社会科学方法論の確立者であるとともに、宗教と社会との関係を論じた第一人者。特に著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は有名。

最近の政治の世界に見られる出処進退の悪さや、経済の世界での度重なる不祥事をみていると、ウェーバーの以上の言葉は予言のように響く。「倫理と精神」という社会の基盤が揺らぐことこそが危機である。

【お知らせ】
この番組のもとになった書籍『偉人の命日366名言集―人生が豊かになる一日一言』をポッドキャストリスナーへ特別価格で販売いたします。
久恒啓一オンライン書店』(https://hisatune.official.ec/items/9322532)にアクセスして、クーポンコード入力欄に『MEIGEN』と入力いただくと500円引きでご購入いただけます。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

6月13日 白瀬矗(陸軍軍人、南極探検家)

酒を飲まない。煙草を喫わない。茶を飲まない。寒中でも火にあたらない

白瀬 矗(しらせ のぶ、文久元年6月13日(1861年7月20日) – 昭和21年(1946年)9月4日)は、日本の陸軍軍人、南極探検家。

南極探検後、帰国した白瀬は4万円(現在の1.5ー2億円)の負債を一人で背負うことになる。この返済のために全国行脚の講演を行って全額を返済するため、極度の貧乏生活を送っている。「恵まれぬ 我が日の本の探検家、パンを求めて処々転々」とは悲しい歌である。辞世の歌は「我なくも 必ず捜せ南極の 地中の宝世にいだすまで」であった。1955年にベルギーで開かれた国際地球観測年に関わる南極会議で、当初は反対が多かったが、日本は白瀬隊の実績を述べて南極基地を設けて観測に参加することができたのである。「何とでも言え、世間の毀誉褒貶というものは、雲か霧のようなものだ。山が泰然としていれば、雲や霧が動いたとて、何ほどのことがあろう。やがて晴れる時が来るに違いない」と語っていたように、白瀬の志は死後に実った。

【お知らせ】
ビジネスパーソンのための音声講座『ビジネスに活かす偉人の名言』はこちらから!
https://meigen.koelab.net/

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ