2月24日 直木三十五(小説家、脚本家、映画監督)

私程度の作品を一日三十枚平均で書けないやうなら、作家になる資格はない

直木 三十五(なおき さんじゅうご、1891年(明治24年)2月12日 – 1934年(昭和9年)2月24日)は、日本の小説家である。また脚本家、映画監督でもあった。現在、エンターテインメント系の作品に与えられる直木三十五賞(通称「直木賞」)は、彼に由来する。

直木は色々な仕事手を染めるがうまくいかない。映画監督のマキノ省三とも一時に一緒に仕事をしている。39歳で書いた、南国太平記で流行作家になる。43歳で亡くなるが残した本は多い。
「芸術は短く、貧乏は長い」と言っていたが、大阪谷町の記念館は、下町の一角にある小さな建物の二階にある。気をつけていないと通り過ぎてしまうような小ぶりの施設だ。
短い人生ではあったが、怒濤の仕事量の人であった。

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2月23日 本多光太郎(物理学者、金属工学者)

産業は学問の道場なり

本多 光太郎(ほんだ こうたろう、明治3年2月23日(1870年3月24日) – 昭和29年(1954年)2月12日)は、日本の物理学者、金属工学者(冶金学者)。

実学の伝統のある東北大学の土台をつくった本多光太郎は、「産業は学問の道場なり」との含蓄のある名言を吐いている。現実の産業界の問題を解決しようと努力する過程で学問が磨かれていくのだ。学界と産業界のあるべき関係を見事に言い当てている。産学連携の場は、学問を志す者を鍛える道場である。

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2月23日 田中久重(発明家)

知識は失敗より学ぶ。事を成就するには、志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、その後に、成就があるのである

田中 久重(たなか ひさしげ、寛政11年9月18日(1799年10月16日) – 明治14年(1881年)1月11日)は、江戸時代後期から明治にかけての発明家。「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれた。芝浦製作所(後の東芝の重電部門)の創業者。

二代目・田中久重(たなか ひさしげ、1846年-1905年 弘化(こうか)3年9月1日 – 明治38年2月23日)は、初代の遺志を継ぎ初代が銀座に構えた田中工場を引き継ぎ、芝浦に田中製造所を設立。後に三井の懇望により譲り、芝浦製作所と改称された。後の東京芝浦電気、現在の東芝である。東芝は近代随一の大発明家・田中久重の「人間に奉仕する技術者精神」を東芝の初心として社運営の基盤としている。2月23日は二代目田中久重の命日である。

同じ名前を引き継ぐことがある。歌舞伎や落語などの世界の名跡がそれにあたるが、田中久重という稀代の天才の名前も養子が引き継いで、仕事を完成させている。二人で一つの人生であったということもできる。江戸時代の商家も養子で保っていたし、明治時代の斉藤茂吉も吉田茂も養子だった。養子は実子よりも親の志を引き継ぐ場合が多い。養子であることの意味を深く自らに問い、求められている課題を追うからだろう。

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2月22日 高浜虚子(俳人、小説家)

春風や 闘志抱きて 丘に立つ

高浜 虚子(たかはま きょし、1874年(明治7年)2月22日 – 1959年(昭和34年)4月8日)は明治・昭和期の俳人・小説家。本名は高浜 清)。俳誌「ホトトギス」の理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。

虚子には名句は多いが、冒頭に紹介した「春風や 闘志抱きて 丘に立つ」が私は好きだ。俳句改革に向けての決意がみなぎるいい句だ。自らの人生も、仕事も、こういう覚悟と闘志で臨みたいものである。

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2月22日 聖徳太子(政治家)

和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ

聖徳太子(しょうとくたいし、敏達天皇3年1月1日(574年2月7日) – 推古天皇30年2月22日(622年4月8日))は、飛鳥時代の皇族、政治家。

実在の人物でなくても、理想の人物像は確かにあったのだから、私たちは素直に彼の言葉に耳を傾けるべきだろう。「和を以って貴しとなす」は17条の憲法の第一条である。その意は、協調の精神を持って議論するならば、おのずから道理にかなう結論になるし、その結果どのような困難も成就することができる、ということであろう。それは1400年の歳月を経ても、真実であり続けている。

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2月21日 永田耕衣(俳人)

大したことは、一身の晩年をいかに立体的に充実して生きつらぬくかということだけである。一切のムダを排除し、秀れた人物に接し、秀れた書を読み、秀れた芸術を教えられ、かつ発見してゆく以外、充実の道はない

永田 耕衣(ながた こうい、1900年(明治33年)2月21日 – 1997年(平成9年)8月25日)は、俳人。禅的思想に導かれた独自の俳句理念に基づき句作。また諸芸に通じ書画にも個性を発揮、90歳を超えた最晩年に至るまで旺盛な創作活動を行った。

俳人・永田耕衣の晩年は職業生活よりも長く40年以上もあった。余生などではまったくない。本舞台だった。55歳まではそのための準備期間ともいえる。ここに大いなる晩年を生きた先達の姿がある。

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2月21日 下中弥三郎(平凡社創業者、教員組合創始者)

出版は教育である

下中 弥三郎(しもなか やさぶろう、1878年6月12日 – 1961年2月21日)は、平凡社の創業者、教員組合の創始者、また労働運動や農民運動の指導者。下中芳岳ともいう。

ある分野の全体を鳥瞰的にわしづかみして全集という形で世の中に提供しようする姿勢は一貫している。「出版は教育である」という信念を実現させた下中弥三郎の人生は、莫大なエネルギーに満ちている。大いなる人生であったとの感を深くする。

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2月20日 石川啄木(歌人、詩人)

詩はいわゆる詩であってはいけない。人間の感情生活の変化の厳密なる報告、正直なる日記でなければならぬ

石川 啄木(いしかわ たくぼく、1886年(明治19年)2月20日 – 1912年(明治45年)4月13日)は、日本の歌人、詩人。

ピカソが絵を描くのと同じように、啄木にとっての詩は日記であった。詩は短いから人々の印象に強く残る。「俳句はやっぱり『小さすぎ』ないだろうか」と言ってた寺山修司が晩年にはもっと俳句をやっていればよかったと後悔したように、短詩は長い時間を生き抜いていく。26歳の短い人生であった啄木が書いた日々の日記は長い命を保っている。

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2月20日 中野好夫(英文学者、評論家)

人間一期の大事に際して、案外頭のよさなどというものは役に立たぬ。人間大事の決断ということになれば、それははるかに知性以前のものである。

中野 好夫(なかの よしお、1903年(明治36年)8月2日 – 1985年(昭和60年)2月20日)は、日本の英文学者、評論家。

中野好夫のこの言葉は重い。頭の良さでシミュレーションを疲弊するまで重ねることでは決して決断はできない。決断とは知性以前の不退転の覚悟の問題なのである。

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2月19日 コペルニクス(天文学者、カトリック司祭)

太陽は宇宙の中心であって不動であり、太陽の運動と見えるものは全て実は地球の運動である

ニコラウス・コペルニクス(ラテン語名: Nicolaus Copernicus、ポーランド語名: ミコワイ・コペルニク Mikołaj Kopernik、1473年2月19日 – 1543年5月24日)は、ポーランド出身の天文学者、カトリック司祭である。当時主流だった地球中心説(天動説)を覆す太陽中心説(地動説)を唱えた。これは天文学史上最も重要な発見とされる。

今となっては、「太陽は宇宙の中心であって不動であり」は間違いであった。しかし地動説は常識となった。後にカントが対象の認識は主観の構成によって初めて可能だとする自らの哲学を天動説から地動説への転回にたとえコペルニクス的転回と呼んだ。40歳前に地動説を確信し、70歳で亡くなるまでその説を深化させ大部の書物にまとめあげる。そして死と同時に、衝撃の書を発表するコペルニクスの人生戦略にも驚かされる。

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