3月20日 前原一誠(武士)

吾今国の為に死す、死すとも君恩に背かず。人事通塞(つうそく)あり、乾坤我が魂を弔さん

前原 一誠(まえばら いっせい、天保5年3月20日(1834年4月28日)-明治9年(1876年)12月3日)は、日本の武士(長州藩士)。諱は一誠。通称は八十郎、彦太郎。倒幕運動の志士として活躍したが、明治維新後、萩の乱の首謀者として処刑された。位階は贈従四位(大正5年(1916年)4月11日)。維新の十傑の1人。

越後府判事時代には年貢半減令と信濃川の分水計画で執拗に新政府に迫った。 直情径行であるが、動き出すときは私心がない。佐久間象山が言う「西洋の芸、東洋の道徳」の東洋の道徳、つまり東方の道を前原一誠は実現しようとしたのである。 もう一つの維新がそこにあった。

【久恒啓一】
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