10月9日 ジョン・レノン(ミュージシャン、シンガーソングライター)

ぼくが これまで どうやってきたかは おしえられる けど きみが これからどうするかは じぶんで かんがえなきゃ

ジョン・ウィンストン・オノ・レノン (John Winston Ono Lennon, MBE、1940年10月9日 – 1980年12月8日) はイギリスのミュージシャン、シンガーソングライター。ロックバンドであるザ・ビートルズのメンバーで、主にボーカル・ギター・作詞・作曲を担当。

ビートルズはヨーコの出現によって終わりを迎えた。「私は、ヨーコのほうをとったのです。私の選択は、間違っていませんでした」「私たちふたりの関係以上に重要なものは、なにもありません、ぜったいになにも」とジョンは語っている。ヨーコの次の言葉が印象に残った。「ビートルズとして存在していたために、ジョンは、ほんとうのジョンよりもスケールが小さくなってしまっていたようなものです」。ジョンは、ジョンになっていったのである。
冒頭の言葉は記念館のフィナーレ・ルームで、透明なボードにジョン・レノンからの日本語と英語で書かれているメッセージである。伝記、自伝、記事、映像、言葉などで先達の人生を眺めることはできる。しかしジョンが言うように、どうやってきたかを教えてもらうことはできるが、これからどうするかは自分で考えねばならない。

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10月8日 武満徹(作曲家)

作曲家にとって一番大事なことは”聴く”ことさ

武満 徹(たけみつ とおる、1930年10月8日 – 1996年2月20日)は、日本の作曲家。ほとんど独学で音楽を学ぶ。若手芸術家集団「実験工房」に所属し、映画やテレビなどで幅広く前衛的な音楽活動を展開。和楽器を取り入れた『ノヴェンバー・ステップス』によって、20世紀を代表する現代音楽家となった。享年65。

武満は学校教育の音楽に無縁だったが、特殊な音楽的記憶力を持っていた。そして生きている間に自分の音楽を創ろうとし日本を背負いながら自由に世界に飛翔した。異国趣味で琵琶や尺八をやるのではなく、西洋音楽にない日本の音楽の本質的で重要な面を出したいと願った。自然環境のように、流れるようにオーケストラ音楽を創っていった。武満徹は作曲家はまず、生きている生命、大いなる宇宙、自然、そこから生まれ出る命の音を最初の聴衆として心を込めて聴こうとすべきだという。それは普遍への道であろう。

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10月7日 久保田一竹(テキスタイルアーティスト)

伝統は軽んじてはならない。伝統にとらわれてもならない

久保田 一竹(くぼた いちく、1917年10月7日 – 2003年4月26日)は、日本のテキスタイルアーティスト。

20歳で「辻が花」に魅せられた久保田一竹は、ぶれることなくその後65年間にわたって生涯をかけて伝統の復活という課題に果敢に挑戦している。伝統と革新は、古くて新しいテーマであり、芸術、スポーツ、政治、組織運営、あらゆる分野で人々はこのテーマに挑んでいると言ってもいい。長い時間によって織られた歴史と伝統を引き継ぎながら、それに過剰に囚われることなく工夫を重ね、時代の息吹を吹き込み、新しい生命を誕生させる。それが現代に生きる私たちの課題なのだ。

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10月6日 ル・コルビュジェ(建築家)

家は生活の宝石箱でなくてはならない

ル・コルビュジエ(Le Corbusier、1887年10月6日 – 1965年8月27日)はスイスで生まれ、フランスで主に活躍した建築家。

「与えられた条件がいかなるものであるかは、絶えず情け容赦なく照り続ける」と仕事の困難さを語るル・コルビュジェは「家は生活の宝石箱でなくてはならない」と建築の心を説いている。大型の建築にも手を染めたが、個人の住宅の設計も多い。ル・コルビュジェは建築家として有名であったが、ひとつの分野にはとどまらない美の巨人だった。建築以外にも、絵画、彫刻、版画、タピスリー、映像などの分野にわたって活躍した多才な芸術家であった。朝はアトリエでの絵画制作、午後は設計事務所で仕事というスタイルだったことにも、その志向が現れている。

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10月5日 大濱信泉(法学教育者)

人の価値は、生まれた場所によって決まるものではない。いかに努力し、自分を磨くかによってきまるものである

大濱 信泉(おおはま のぶもと、1891年10月5日 – 1976年2月13日)は、日本の法学(専門は商法)・教育者。第7代早稲田大学総長(1954年 – 1966年)。沖縄県石垣島生まれ。

小学生時代に、ナポレオンの伝記を読んで、地中海の離島コルシカ島に生まれた人物が、フランスの皇帝にまでなった話に感激する。沖縄師範ではラブレター事件で退学処分を受け、上京し早稲田大学を首席で卒業する。この人の名は日本野球機構コミッショナーとしての記憶があるのだが、実は沖縄返還の立役者だったのだ。沖縄の石垣島出身の自分を、コルシカ島出身のナポレオンというモデルを参考にして、努力を重ね、自分を磨き上げて、大きくはばたいた人である。人生におけるロールモデルの存在が人を鼓舞することを改めて教えてくれる。やはり偉人伝の教育効果はすさまじいものがある。石垣島の記念館を訪ねなくてはならない。

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10月4日 日野原重明(医師、医学博士)

しかし、人間は生き方を変えることが出来る

日野原 重明(ひのはら しげあき、1911年(明治44)10月4日 – 2017年(平成29)7月18日)は、日本の医師・医学博士。聖路加国際病院名誉院長。

今までやったことのないことをする。会ったことのない人に会う。そして常に自己革新を続ける。103歳で初めて馬に乗る。104歳の誕生日には100歳から始めた俳句を104つおさめた俳句を収めた初めての句集を出版する。そしてフェイスブックも始めている。やるべき崇高な仕事があり、その生き方が多くの人に夢と希望を与える大きな人生だった。人生100年時代のモデル、105歳まで生き切った日野原重明は聖なる人となった。

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10月3日 平林たい子(小説家)

私は生きる

平林 たい子(ひらばやし たいこ、1905年(明治38年)10月3日 – 1972年(昭和47年)2月17日)は、日本の小説家。

平林たい子は、女流文学会会長をつとめている女傑だが、一生を眺めるとすさまじいエネルギーと思い切りのいい強烈な言動に驚く。「既婚の婦人は既に消費社会に入った商品であり、未婚の婦人は未だ流通過程にある商品である」(『男性罵倒録』)。
「わが母がわれを 生ましし齢(よわい)は来つ さずけたまひし 苦を苦しまむ」。平林たい子は、与えられた生を生き切ったのである。

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10月2日 良寛(僧侶、歌人、漢詩人、書家)

災難にあう時節には災難にあうがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。これは災難をのがるる妙法にて候

良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日(1758年11月2日) – 天保2年1月6日(1831年2月18日))は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。

冒頭に掲げた言葉は、1828年の新潟三条の大地震で子どもを亡くした俳人・山田杜皐(やまだとこう)に17歳の良寛が宛てた見舞の一文である。自然のままに生きようという。災難にあったらあったら災難にあう。死ぬときは死ぬしかない。あるがままに受け入れて、自分ができることをしよう。良寛の辞世の歌は「いにしへいかはらぬものはあり みそとむかいみゆるさどのしまなみ」である。毎日の生活と佐渡島の風景は変わることはない。時節と摂理を受け入れて生きる心の大事さを良寛和尚は教えてくれる。

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10月1日 川口松太郎(小説家、劇作家)

このくり返しが自分の人生であり、悔いはない。悔いはむしろおびただしい作品の中にある

川口 松太郎(かわぐち まつたろう、1899年(明治32年)10月1日 – 1985年(昭和60年)6月9日)は日本の小説家、劇作家、日本芸術院会員、戦後の大映映画の専務。文化功労者。

「人生に悔いなし」というエッセイには、人生に悔いはないが、むしろ「悔いはむしろおびただしい作品の中にある」との悔恨がある。文筆業は時間の制約の中で書くたびに新しいものを書かねばならないから、どの作品にも悔いは残るのだ。

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9月30日 朴正煕(軍人、政治家)

百の理論より一つの実践が要望され、楽しい分裂より苦しい団結がなければならず、他をくじくことよりも助けることを知り、惜しむことを知らねばならぬ

朴正煕(パク・チョンヒ、日本語読み: ぼく せいき、時憲暦9月30日(1917年11月14日) – 1979年10月26日)は、韓国の軍人、政治家。

「我が半万年の歴史は、一言で言って退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」という朴は、事大主義と属国性を脱却し、韓国近代化のために手段を選ばない開発独裁体制を推進したのだが、私人としては清廉であったとの評価がある。「子孫のために美田を残さず」という西郷隆盛を尊敬していた影響であろう。韓半島の統一で民族国家の威勢を示すことを目指した朴大統領は、難しい時代環境の中で、理論よりも実践、分裂よりも団結を重んじながら、故国の発展の礎を築こうとしたのだ。リーダーのスタイルは、必ずしもその人固有のものではない。遭遇した時代と周囲の環境と自らの力量との相関の中で、現下のテーマに沿ってどのような形のリーダーシップを選ぶかという選択なのだ。

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