10月2日 良寛(僧侶、歌人、漢詩人、書家)

災難にあう時節には災難にあうがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。これは災難をのがるる妙法にて候

良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日(1758年11月2日) – 天保2年1月6日(1831年2月18日))は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。

冒頭に掲げた言葉は、1828年の新潟三条の大地震で子どもを亡くした俳人・山田杜皐(やまだとこう)に17歳の良寛が宛てた見舞の一文である。自然のままに生きようという。災難にあったらあったら災難にあう。死ぬときは死ぬしかない。あるがままに受け入れて、自分ができることをしよう。良寛の辞世の歌は「いにしへいかはらぬものはあり みそとむかいみゆるさどのしまなみ」である。毎日の生活と佐渡島の風景は変わることはない。時節と摂理を受け入れて生きる心の大事さを良寛和尚は教えてくれる。

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10月1日 川口松太郎(小説家、劇作家)

このくり返しが自分の人生であり、悔いはない。悔いはむしろおびただしい作品の中にある

川口 松太郎(かわぐち まつたろう、1899年(明治32年)10月1日 – 1985年(昭和60年)6月9日)は日本の小説家、劇作家、日本芸術院会員、戦後の大映映画の専務。文化功労者。

「人生に悔いなし」というエッセイには、人生に悔いはないが、むしろ「悔いはむしろおびただしい作品の中にある」との悔恨がある。文筆業は時間の制約の中で書くたびに新しいものを書かねばならないから、どの作品にも悔いは残るのだ。

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9月30日 朴正煕(軍人、政治家)

百の理論より一つの実践が要望され、楽しい分裂より苦しい団結がなければならず、他をくじくことよりも助けることを知り、惜しむことを知らねばならぬ

朴正煕(パク・チョンヒ、日本語読み: ぼく せいき、時憲暦9月30日(1917年11月14日) – 1979年10月26日)は、韓国の軍人、政治家。

「我が半万年の歴史は、一言で言って退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」という朴は、事大主義と属国性を脱却し、韓国近代化のために手段を選ばない開発独裁体制を推進したのだが、私人としては清廉であったとの評価がある。「子孫のために美田を残さず」という西郷隆盛を尊敬していた影響であろう。韓半島の統一で民族国家の威勢を示すことを目指した朴大統領は、難しい時代環境の中で、理論よりも実践、分裂よりも団結を重んじながら、故国の発展の礎を築こうとしたのだ。リーダーのスタイルは、必ずしもその人固有のものではない。遭遇した時代と周囲の環境と自らの力量との相関の中で、現下のテーマに沿ってどのような形のリーダーシップを選ぶかという選択なのだ。

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9月29日 セルバンテス(作家)

前が誰と一緒にいるか、いってみな。そうしたら、お前がどんな人間かいってやる

ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ(Miguel de Cervantes Saavedra, 1547年9月29日 アルカラ・デ・エナーレス – 1616年4月23日、マドリード)は、近世スペインの作家で、『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』(Don Quijote de la Mancha)の著者として著名。

誰と一緒にいるか。その誰かとは、親分であり、仲間であろう。優れた師を持てれば半ば成功が約束される。立派な友達を持つことで自身が磨かれ豊かな人生へつながる。師匠と友人の、広さと高さがその人の運命を決める。確かにそうだ。セルバンテスの数多い警句は人の世の芥の中から世の中の真実を見据える透徹した目を感じさせる。

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9月28日 大槻玄沢(蘭学者)

およそ、事業は、みだりに興すことあるべからず。思いさだめて興すことあらば、遂げずばやまじ、の精神なかるべからず

大槻 玄沢(おおつき げんたく、宝暦7年9月28日(1757年11月9日)- 文政10年3月30日(1827年4月25日))は、一関藩出身の江戸時代後期の蘭学者。

大槻玄沢は「遂げずばやまじ」の精神で、玄白から命ぜられて『解体新書』の改訂に取り組む。1790年から始めて、1798年には『重訂解体新書』ができた。改訂作業は続き、1804年にようやく完了した。偉業である。著書や翻訳書は、300巻に及ぶという仕事人でもあった。その精神は、息子の盤渓、孫の文彦にも引き継がれて、それぞれ歴史に名を残す仕事を完成させている。その源は玄沢であった。この人の影響力は何世代にも渡った。

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9月27日 武市瑞山(志士、武士)

ふたたひと 返らぬ歳をはかなくも 今は惜しまぬ身となりにけり

武市 瑞山(たけち ずいざん。文政12年9月27日(1829年10月24日)-慶応元年5月11日(1865年7月3日))は、日本の志士、武士(土佐藩郷士)。土佐勤王党の盟主。通称は半平太で、武市 半平太(たけち はんぺいた)と呼称されることも多い。

切腹を命じられた半平太は体を清めて正装し、未だ誰も為しえなかったとさえ言われてきた三文字割腹の法を用いて、法式通り腹を三度かっさばいた後、前のめりになったところを両脇から二名の介錯人に心臓を突かせて絶命した。享年37。藩主山内容堂は武市へ切腹を命じたことを悔いていた。冒頭に掲げた歌は、武市瑞山の辞世の歌である。

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9月26日 ハイデッガー(哲学者)

人は死から目を背けているうちは、自己の存在に気を遣えない。死というものを自覚できるかどうかが、自分の可能性を見つめて生きる生き方につながる

マルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger、1889年9月26日 – 1976年5月26日)は、ドイツの哲学者。

「私が死んだら、原稿は100年間封印してほしい。時代はまだ私を理解する構えにはない」と遺言で述べていたが、計算すると100年後は2076年だ。人間は死を意識すると生き方が変わる。時間との競争の中で、今何をすべきかを考えるようになる。死を意識すると有限の持ち時間の中で、自己の可能性をどう実現するかを真摯に考えるようになるのだ。

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9月25日 田中光顕(官僚、政治家)

死すべき時に死し、生べき時に生くるは、英雄豪傑のなすところである

田中 光顕(たなか みつあき、天保14年閏9月25日(1843年11月16日) – 昭和14年(1939年)3月28日)は、日本の武士・土佐藩家老深尾氏家臣、官僚、政治家。栄典は従一位勲一等伯爵。

生きるときに生き、死すべきときに死す、それが英雄豪傑の証明だ。そういう述懐をする田中光顕は、自身を二流の人物だと考えていたが、生涯を追うとやはり見事な人生だったと感じる。維新前夜から昭和まで、96歳まで生き延びた田中は、「儂は今年で八十三になるが、まだ三人や五人叩き斬るくらいの気力も体力も持っている」と語ったように、その気力と体力を使って英雄豪傑たちの顕彰に晩年を捧げたのだ。こういう人生もある。

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9月24日 玉木文之進(教育者、兵学者)

一日勉学を怠れば国家(藩)の武は一日遅れることになる

玉木 文之進(たまき ぶんのしん。1810年(文化7年)9月24日-1876年11月16日)は、幕末の長州藩士で教育者・山鹿流の兵学者。松下村塾の創立者。

天保13年(1842年)に松下村塾を開いて、「痒み(かゆみ)は私。掻く(かく)ことは私の満足。それを許せ長じて人の世に出たとき私利私欲をはかる人間になる」などと、少年期の松陰を厳しく教育した。また親戚の乃木希典も玉木が教育している。自分の研鑽が一日遅れればその分国家の進みが一日遅れる。幕末から明治にかけての青年たちの気概が明治国家を形づくった。日露戦争海軍参謀の秋山真之しかり、その他あらゆる分野で自分が一日怠ければ日本が遅れるとの決意で研鑽をした青年たちが短期間で近代化を成し遂げた。その原形は、松下村塾で青年たちを鼓舞した吉田松陰を少年期に訓育した玉木文之進のこの言葉にあったのか。

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9月23日 吉田秀和(音楽評論家、随筆家)

自分のいるところから見えるものを、自分のも持つ方法で書くという態度は、変わらずにきたつもりである

吉田 秀和(よしだ ひでかず、1913年(大正2年)9月23日 – 2012年(平成24年)5月22日)は、日本の音楽評論家、随筆家。

「芸術は手仕事で成り立っている」と喝破した吉田秀和は、自分のいる場所から見える世界の奥深い真実を、誰にでもわかる平易な言葉で書くという自分自身の方法論を貫いた。11歳年上の文芸評論の大家・小林秀雄は、吉田をライバル視していた、という。それほど吉田の蓄積と慧眼と筆力が優れていたという証拠だろう。

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