9月22 日明治天皇(第122代天皇)

卿等は辞表を出せば済むも、朕は辞表を出されず

明治天皇(めいじてんのう、嘉永5年9月22日(1852年11月3日)- 明治45年(1912年)7月30日)は日本の第122代天皇。諱は睦仁(むつひと)。 倒幕・攘夷派の象徴として近代日本の指導者と仰がれる。功績・人物像から明治大と呼ばれる。

明治天皇は君主として生きた。昭和天皇は君主と象徴の人生を生きた。現在の天皇は象徴の役割を果たしてきた。天皇の生前退位の問題がクローズアップされているが、「天皇とは誰か」「象徴とは何か」は日本人が誰もが考えなくてはならないテーマだ。

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9月21日 樫山純三(実業家、競走馬の馬主)

実行力に増して先見性やアイデアが重要なのだ

樫山 純三(かしやま じゅんぞう、1901年9月21日 – 1986年6月1日)は日本の実業家、競走馬の馬主。

樫山純三の時代を読む先見性と独創的なアイデア、そしてそれを推進する実行力は、本業で遺憾なく発揮されたが、さらに人生の後半には国際的なホースマン(馬主)、国際的人材の育成という面にも大いに発揮された。先見性とアイデアと実行力が見事な人生を描いたのだ。

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9月20日 大野伴睦(政治家)

猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ

本名:大野 伴睦(おおの ともちか)、1890年(明治23年)9月20日 – 1964年(昭和39年)5月29日)は日本の政治家。自由民主党副総裁。

冒頭に掲げた猿と代議士を比較した名言は、今でも選挙が近づくと目にする機会が多い。功罪はあったが、このようなエピソードや名言を眺めると、やはり魅力のある人物だったようだ。

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9月19日 小畑勇二郎(政治家)

亨けし命をうべないて

小畑 勇二郎(おばた ゆうじろう、1906年9月19日 – 1982年10月5日)は日本の政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。秋田県知事を6期24年務め、秋田県の発展に尽力した。

勇二郎は読書家で、かつ名文家であった。『続・亨けし命をうべないて 県政覚え書き』では、自ら筆をとった「忘れ得ぬ人々」というタイトルで「水交わ通信」に連載した文章が載っている。亡くなった方の追想であるが、それぞれとの出会いやふれあいが、心のこもった達意の文章で語られている。重宗雄三、吉田季吉、蓮池公咲、、、など30人の人生とふれあいがわかる。筆者は最後に一口にいって「一所懸命に生きている人」だと述べている。
「人間の運命というものは判らんもんだ。ワシは、あの時、クビになったおかげで知事になったようなもんだ」と小学校の代用教員をクビになったときのことを勇二郎は述懐している。小畑勇二郎は、自らが背負った宿命を、高い使命にかえて、一所懸命に生き切った人であると思う。

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9月18日 土屋文明(歌人、国文学者)

我にことばあり

土屋 文明(つちや ぶんめい、1890年(明治23年)9月18日(戸籍上は1月21日) – 1990年(平成2年)12月8日)は、日本の歌人・国文学者。

「本来の仕事である日本文化向上のための仕事をどんな形で実行していったらよいか」
「作歌は我々の全生活の表現であって、短歌の表現はただちにその作者その人となる」
「この新しい事態を諸君がいかに実践して居るか、その生活の真実の表現をこそ吾々は聞かむと欲して居るのである。そこにまだ短歌として開拓されない、ひろい分野が在るやうの私は思ふ」
「世の動きに無関心で居るといふ意味ではない。実は運動や討論よりももっと根本的な所に関はろうとするからである」
「生活と密着な文学として短歌は滅びない。実際短歌は生活の表現というのではもう足りない。生活そのものというのが短歌の特色。、、その少数者は「選ばれた少数者」の文学。、、」
「現実主義(リアリズム)ということに尽きる」など、文明は力強い主張をして同学の人々を励ました。そして、100歳と2ヶ月という長寿をもって、一筋に精進を重ねた。この人は100歳時代のモデルである。

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9月17日 塚本幸一(実業家)

リーダーというものは、下に対して俺を信頼しろというのではなく、まず自らが下を信頼すること。すべてはそこからはじまります

塚本 幸一(つかもと こういち、1920年9月17日 – 1998年6月10日)は日本の実業家。ワコール創業者。

この塚本幸一が住んだ京都の自宅にお邪魔したことがある。息子の能交さんが参加している会のイベントで訪ねたのだ。よく考えられた建物と庭の美意識に感動したことを思い出す。部下を信頼することから始めよ、という塚本幸一のリーダー論は腑に落ちる。「上、下をみること3年、下、上をみること3日」というリーダーを戒める恐るべき言葉を思い出した。

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9月16日 ケンペル(医師、博物学者)

日本人ほど丁重に礼儀正しく振舞う国明は世界中どこにも無い。世界中のいかなる国民でも、礼儀という点で、日本人に勝るものはない。彼らの行状は百姓から大名に至るまで大変礼儀正しいので、我々は国全体を礼儀作法を教える高等学校と呼んでもよかろう

エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer, 現代ドイツ語読みではエンゲルベアト・ケンプファー、1651年9月16日 – 1716年11月2日)は、ドイツ北部レムゴー出身の医師、博物学者。ヨーロッパにおいて日本を初めて体系的に記述した『日本誌』の原著者として知られる。

江戸時代の日本人の礼儀正しさは世界一であっただろう。その後、江戸から明治にかけて多くの外国人が日本国内を旅行し、同じ感想を述べている。渡辺京二『逝きし世の面影』は、江戸時代から明治中期までの期間に確かにあった美しい一つの文明の姿を、日本を訪れた外国人の観察を紹介した名著だが、ケンペルはそういう人々の先駈けであった。元箱根にはケンペルの碑がある。

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9月15日 石田梅岩(思想家、倫理学者)

自ら徳に至る道を実行せず、ただ文字の瑣末にのみ拘泥しているのは、『文字芸者』という者なり

石田 梅岩(いしだ ばいがん、貞享2年9月15日(1685年10月12日) – 延享元年9月24日(1744年10月29日))は江戸時代の思想家、倫理学者。石門心学の開祖。

弟子には18歳で入門し石門心学の普及に功績をあげた手島堵庵がいる。また明治以降では講談社を創業した雑誌王・野間清治がいる。野間はビジネスにおける倫理の大切さを主張し、絵画を収集し野間記念館で展覧する礎を築くなど、実業以外にも社会貢献にも熱心だった。現在でも、岡山の心学敬明舎などで、梅岩の思想の研究が盛んに行われている。在野の学者にすぎないと梅岩を批判する者も多かったが、「文字がなかった昔に、忠孝はなく、聖人はいなかったとでもいうのか。聖人の学問は行いを本とし、文字は枝葉なることを知るべし」といい、その後に、冒頭の学者に対する痛烈な批判を行っている。
本(もと)は行いで、文字は枝葉である。文字芸者になるな、この梅岩の言葉を心に刻みたい。

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9月14日 赤塚不二夫(漫画家)

自分が最低だと思っていればいいのよ。一番劣ると思っていればいいの。そしたらね、みんなの言ってることがちゃんと頭に入ってくる。自分が偉いと思っていると、他人は何も言ってくれない。そしたらダメなんだよ。てめぇが一番バカになればいいの

赤塚 不二夫(あかつか ふじお、本名:赤塚 藤雄、1935年(昭和10年)9月14日 – 2008年(平成20年)8月2日)は、日本の漫画家。

赤塚不二夫は、若い頃から晩年まで、自分を最下層に置いて人から教えを請い、接するあらゆる人から学び続けようという姿勢を貫いている。有名になっても謙虚な人柄は変わらなかった。こうした社会、時代、読者、と一緒に生きていこうとする表現者としての仕事への取り組みの結果生まれる作品群が、共感を呼んだのは当然かも知れない。

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9月13日 杉田玄白(蘭学医)

一に泰平に生まれたること。二に都下に長じたること。三に貴賤に交わりたること。四に長寿を保ちたること。五に有禄を食んだること。六にいまだ貧を全くせざること。七に四海に名たること。八に子孫の多きこと。九に老いてますます壮なること

杉田 玄白(すぎた げんぱく、享保18年9月13日(1733年10月20日) – 文化14年4月17日(1817年6月1日))は、江戸時代の蘭学医。若狭国小浜藩医。

冒頭に掲げた「九幸」が玄白の人生観だった。太平の世、天下の中心で成長、広い交友、長寿、安定した俸禄、貧しくない、名を知られた、子や孫が多い、壮健。それらをすべて得た玄白は晩年には自ら九幸翁と号していた大胆さには驚いたが、しかしこの幸福論は参考になる。

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