1月13日 大森実(ジャーナリスト)

日本はまだ、米国から完全に独立していない。戦争の清算は済んでいないんだ。そろそろ真の独立をするべきだ

大森 実(おおもり みのる、1922年1月13日 – 2010年3月25日 日本時間3月26日)は日本のジャーナリスト。兵庫県神戸市出身。ボーン国際記者賞(1960年) 、UCLA国際ジャーナリスト賞 、日本新聞協会賞を受賞。

国際ジャーナリストの魁であった大森実は、毎日新聞のスター記者として、また独立ジャーナリストとして、そしてカルフォルニア大学の教授として、日本とアメリカの関係をみつめていた。冒頭の言葉は最晩年に友人に語った言葉だ。遺言である。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

1月12日 岡田三郎助(洋画家)

残るものは絵だけだよ。絵かきはそれで能(よ)いのだよ

岡田 三郎助(おかだ さぶろうすけ、明治2年1月12日(1869年1月22日) – 昭和14年(1939年)9月23日)は佐賀県に生まれ、明治~昭和にかけて活躍した洋画家である。女性像を得意とし、日本的な感覚の洋画に秀作を残している。東京美術学校(現・東京藝術大学)教授。第1回文化勲章を受章。 妻・岡田八千代は小説家・劇作家で、小山内薫の妹である。

画家、小説家など作品を創りあげる仕事は、その人の言動よりも、残した作品が重要だ。長く残り後世にも影響を与えるのは、画家の場合は絵である。岡田の寡黙はそういう考えの発露であろう。研究者として書籍を書くのも同じことが言える。後世に残る作品をものしたかという問いをかみしめたい。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

1月11日 きだみのる(小説家、翻訳者)

一番重要なことは長生きだ。、、長生きすれば、いま生きている連中の正誤がわかる

きだ みのる(本名・山田吉彦、1895年(明治28年)1月11日 – 1975年(昭和50年)7月25日) は、鹿児島県奄美大島出身の小説家、翻訳者。代表作『気違い部落』シリーズは映画化もされた。

当時日本も前のめりになったイラク戦争は後になって大義のないことが判明した。2017年に100年を迎えるロシア革命によるソ連邦の崩壊も意外な結末だった。中国の文化大革命の評価も同様だ。時間の経過とともにしだいに真実がわかってくる。生きているわずかの時間では事件の意味や正誤はなかなか分からない。どのような分野においても歴史の審判を見届けるには時間がかかる。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

1月10日 高山樗牛(文芸評論家、思想家)

己の立てるところを深く掘れ、そこには必ず泉あらむ

高山 樗牛(たかやま ちょぎゅう、 明治4年1月10日(1871年2月28日) – 明治35年(1902年)12月24日)は明治時代の日本の文芸評論家、思想家。東京大学講師。文学博士。明治30年代の言論を先導した。31歳で夭折。

狷介でなかなかの難物だった高山樗牛だが、冒頭の言葉には惹かれる。己の立っている場所しか掘ることはできない。そこを深く、深く掘り進める。地下水に到達すると、その水はあらゆる分野につながっていることを発見する。それがわかるか、わからないかが勝負なのだ。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

1月9日 リチャード・ニクソン(政治家、第37代アメリカ合衆国大統領)

自分が大統領を狙わず、大統領職に自分を狙わせる。これこそ大統領になる最大のコツではないだろうか

リチャード・ミルハウス・ニクソン(Richard Milhous Nixon, 1913年1月9日 – 1994年4月22日)は、アメリカ合衆国の政治家。第37代アメリカ合衆国大統領。ニクソン大統領は、ベトナム戦争からの完全撤退、冷戦下のソ連とのデタント(緊張緩和)、中国との国交樹立などに尽力した。

1960年の大統領選では、選挙人の多い州を重点に回る選挙戦略をとったライバルのケネディに敗れたニクソンは、臥薪嘗胆の日々を送り、大統領職が自分をターゲットにするまでに自分を鍛えていった。1968年の大統領選で当選し第37代の大統領に当選する。ポストにふさわしい実力をつけることが、ポストにつくための戦略ということになるだろうか。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

1月8日 岩崎弥之助(実業家)

三菱の事業は一門のために経営するのではない。お前たちの中に国家のことを考えず、岩崎家のみを考える者があったなら、三菱は潰したほうがよい。このことを、しっかり腹に入れておくがよい

岩崎 弥之助(いわさき やのすけ、嘉永4年1月8日(1851年2月8日) -明治41年(1908年)3月25日)は、日本の実業家で、三菱財閥の2代目総帥。男爵。三菱の創業者・岩崎弥太郎の弟にあたる。

弥之助は焼け野原の土地を政府から高い価格で押しつけられた丸の内の土地を買ったとき「竹でも植えて虎でも飼うさ」と嘘ぶいていたという。冒頭の言葉は常に国家とともにあった三菱の神髄を示すものである。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

1月7日 森 茉莉(小説家、エッセイスト)

辛いことがあっても、明日また太陽が出ると思えば堪えられる

森 茉莉(もり まり、1903年(明治36年)1月7日 – 1987年(昭和62年)6月6日)は、日本の小説家、エッセイスト。翻訳も行っている。

貧乏による恐るべき見すぼらしさの中で、王侯貴族のように意気軒昂さを堅持する楽観的で強靭な精神は、「文学者は、のたれ死にの覚悟がなければ」の決意の賜物であった。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

1月6日 シュリーマン(考古学者、実業家)

目的の大きさに比例して努力・精進しなければならないのは、人生の鉄則だ

シュリーマン(ドイツ語: Johann Ludwig Heinrich Julius Schliemann, 1822年1月6日 – 1890年12月26日)は、ドイツの考古学者、実業家。幼少期に聞かされたギリシャ神話に登場する伝説の都市トロイアが実在すると考え、実際にそれを発掘によって実在していたものと証明した。

幼少期の志を持ち続け、そのための準備として苦心惨憺しながら資金を蓄える。50歳を前にして事業をすべて精算し、志の実現のために立ち上がる。そして伝説を実在の物語として証拠立てる遺跡を発掘することに成功する。小さな志ではなく大いなる志を身に宿したシュリーマンは、50年以上にわたる日記の習慣に代表されるようい大なる努力と精進の人であった。小さな志の人は小さな努力、大きな志の人は大きな精進を。冒頭の言葉によって後世の私たちは頭をガツンとなぐられる。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

1月5日 夏目漱石(小説家、評論家、英文学者)

世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えて呉れません

夏目 漱石(なつめ そうせき、慶応3年1月5日(1867年2月9日) – 大正5年(1916年)12月9日)は、日本の小説家、評論家、英文学者。

建築家になろうと思った若き漱石は、今からピラミッドを建てられるわけではないと友人に諭され、志望を文学に変える。以後の日本文学の基礎となるべき書物を著すという「天下の志」を実現すべく、根気を持って少しずつ牛のように取り組んでいった。わずか50年の生涯であったが、その書物群によって今なお文豪として日本近代文学の祖としての命脈を保っている。「文章も職業になるとあまりありがたくない。また職業になるくらいでないと、張合いがない。厄介なものです」とも述べてはいるが、「職業と道楽」についての優れた洞察にもみるように何ごとにも一家言を持っていた漱石は一種の起業家だったのだ。その「天下の志」は見事に開花している。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB

1月4日 夢野久作(禅僧、陸軍少尉、郵便局長、小説家、詩人)

五十、七十、百まで生きても、アッという間の一生涯だよ。何が何やらわからんまんまに。会うて別れて生まれて死に行く

夢野 久作(ゆめの きゅうさく、1889年(明治22年)1月4日 – 1936年(昭和11年)3月11日)は、日本の禅僧、陸軍少尉、郵便局長、小説家、詩人、SF作家、探偵小説家、幻想文学作家。
日本探偵小説三大奇書の一つに数えられる畢生の奇書『ドグラ・マグラ』をはじめ、怪奇色と幻想性の色濃い作風で名高い。父は玄洋社系の国家主義者の大物、杉山茂丸である。

アッという間、夢、幻、このように一生を懐古するする人は多い。その間に経験することは、年齢も、出会いも、すべてが初めてのことだから、うまくたちまわることはなかなかできない。生まれて死ぬ間は、会って別れての連続であるという夢野久作の感慨には共感を覚える。いつだれとどのような場所で出会うか。人の運命は出会いによって変わることは確かだ。

【久恒啓一】
図解WebプログFacebooknoteメルマガ

■Produced by KOELAB