3月26日 李承晩(大韓民国の初代大統領)

一つになれば生き延び、ばらばらになれば死ぬ

李 承晩(り・しょうばん、イ・スンマン 1875年3月26日 – 1965年7月19日)は、朝鮮の独立運動家で、大韓民国の初代大統領(在任1948年 – 1960年)。

李承晩には毀誉褒貶があるが、植民地、独立闘争、建国、朝鮮戦争、、、など幾多の困難に立ち向かった人であることは間違いない。民族が内部で争うことは筆舌に尽くしがたい悲劇であり、統一こそが民族を前に進ませる道である。内部対立の克服が繁栄への道である。それは民族、国家だけではない。あらゆる団体、組織にもあてはまる道理だ。ばらばらになれば生き延びられない。

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3月25日 佐伯勇(近畿日本鉄道元社長、会長、名誉会長)

果報は練って待て

佐伯 勇(さえき いさむ、1903年〈明治36年〉3月25日 – 1989年〈平成元年〉10月5日)は実業家。近畿日本鉄道(近鉄)の元社長、会長、名誉会長で、近鉄グループの総帥。

問題にぶつかったら、それからあわてて考えるのではない。問題の把握と対処策は日頃から常に用意しておくことが大事だ。ひとりよがりで問題を暴き立てて性急に解決しようとして失敗することを戒めた言葉だ。時機を待ち、好機が訪れたら一気に抱負を実現する。それがものごとの実現のための急所であることこの仕事師は教えてくれる。

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3月24日 スティーブ・マックイーン(俳優)

できるだけ台詞を短くして皆の記憶に残るようにするんだ

テレンス・スティーブン「スティーブ」マックイーン(Terence Steven “Steve” McQueen, 1930年3月24日 – 1980年11月7日)は、アメリカの俳優。

台詞が長いと観客は深い印象を持たない。説明は不要で、本質だけを短い言葉で刺すように語る。それがマックイーンの魅力の源だった。世界最短の詩といわれる俳句、17文字の和歌、これらの命は長い。百年はおろか、千年の後の人にも影響を与えているのは、短いからだ。映画や芝居の台詞も、式典やパーティでも挨拶も、短い方がよろしい。

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3月23日 川上哲治(プロ野球選手・監督、野球解説者)

中途半端だと、愚痴が出る。いい加減だと、言い訳がでる。真剣にやれば、知恵が出る

川上 哲治(かわかみ てつはる(現役時代は「てつじ」)、1920年3月23日 – 2013年10月28日)は、熊本県球磨郡大村(現・人吉市)出身のプロ野球選手・監督、野球解説者。

巨人軍の4番打者のとき「ボールがとまって見える」という境地にまで達した川上哲治は、日本一9連覇という空前絶技の偉業を成し遂げ、監督としてもその境地に達した。ここにあげた言葉を眺めると、人間集団を率いるマネジメントの大家であったとの感を深くする。

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3月22日 中山晋平(作曲家)

らしく、、、というのはいい言葉だよ。誰でもその人らしく振る舞えばいいのさ

中山 晋平(なかやま しんぺい、1887年(明治20年)3月22日 – 1952年(昭和27年)12月30日)は、日本の作曲家

職業に真剣に取り組むと、その職業らしい人になってくる。立ち振る舞い、目つき、そして人生観なども長い時間を経ると影響を受ける。しかし晋平の「らしく」は、日常の振る舞い、多くのエピソード、そういうものが人の個性を形づくるという意味だろう。「その人らしく振る舞えばいいのさ」は、肩の力を抜いて、気負いを捨てて生きることを肯定してくれる。しかし同時に「自分らしく」どう振る舞うべきか、という決断を試されるという逆の面もある。「自分らしく」を常に自分に問いかけよう。

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3月21日 斉藤茂太(精神科医、随筆家)

人を集めよう。幸福が集まる

斎藤 茂太(さいとう しげた、1916年3月21日 – 2006年11月20日)は、日本の精神科医、随筆家である。斉藤茂吉の長男。次男は北杜夫。

斉藤茂太はモタさんが愛称だ。精神科医であったモタさんはあたたかく励ます言葉を発表して人々に生きる勇気を与えた。多くの人と幸せを分かちあうことが、自分が幸せになる道だ。人と接し、人と集う。人の集まるところに幸せがある。

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3月20日 前原一誠(武士)

吾今国の為に死す、死すとも君恩に背かず。人事通塞(つうそく)あり、乾坤我が魂を弔さん

前原 一誠(まえばら いっせい、天保5年3月20日(1834年4月28日)-明治9年(1876年)12月3日)は、日本の武士(長州藩士)。諱は一誠。通称は八十郎、彦太郎。倒幕運動の志士として活躍したが、明治維新後、萩の乱の首謀者として処刑された。位階は贈従四位(大正5年(1916年)4月11日)。維新の十傑の1人。

越後府判事時代には年貢半減令と信濃川の分水計画で執拗に新政府に迫った。 直情径行であるが、動き出すときは私心がない。佐久間象山が言う「西洋の芸、東洋の道徳」の東洋の道徳、つまり東方の道を前原一誠は実現しようとしたのである。 もう一つの維新がそこにあった。

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3月19日 小野田寛郎(陸軍軍人、実業家)

(世論では)私は『軍人精神の権化』か、『軍国主義の亡霊』かのどちらかに色分けされていた。私はそのどちらでもないと思っていた。私は平凡で、小さな男である。命じられるまま戦って、死に残った一人の敗軍の兵である。私はただ、少し遅れて帰ってきただけの男である

小野田 寛郎(おのだ ひろお、大正11年(1922年)3月19日 – 平成26年(2014年)1月16日)は、大日本帝国の陸軍軍人、実業家。

何がないからできないというのは自分の能力のなさだ、自分の不備不明の致すところと心得よと中野学校で教えられていた小野田は、あらゆる手段を講じて生き延びた。小野田は自らを平凡で、小さな男であるというが、30年近く戦い続ける意志と能力を形づくった教育というものの影響力の大きさを思わざるをえない。

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3月18日 石田波郷(俳人)

俳句の魅力は、一口にいふと、複雑な対象を極度に単純化して、叙述を接してひと息に表現することにあると思ふ

石田 波郷(いしだ はきょう、1913年(大正2年)3月18日 – 1969年(昭和44年)11月21日)は、愛媛県出身の俳人。本名は哲大(てつお)。水原秋桜子に師事、「馬酔木」に拠ったのち、「鶴」を創刊・主宰。初期の青春性のあふれる叙情句からはじまり、自己の生活を見つめる、人間性に深く根ざした作風を追求、加藤楸邨、中村草田男らとともに人間探求派と呼ばれた。

「風切宣言」では、「俳句の韻文精神の徹底」「豊穣なる自然と剛直なる生活表現」「時局社会が俳句に要求するものを高々と掲出すること」、と俳句をつくる意味を語っている。その上で、対象を単純化しひと息に表現する。それが波郷の俳句であった。

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3月17日 三木武夫(政治家、第66代内閣総理大臣)

信なくば立たず

三木 武夫(みき たけお、1907年(明治40年)3月17日 – 1988年(昭和63年)11月14日)は、徳島県出身の日本の政治家である。内閣総理大臣(第66代)などを歴任。衆議院議員当選19回、在職51年。

「信なくば立たず」。国の存立のためには軍備、経済、信頼が必要だ。やむを得ない場合は軍備を捨て、次に経済を捨てよと孔子は『論語』で語っている。そして、「民、信なくんば立たず」と結んでいる。周囲からの信頼がなければ、目的成就はできない。私は今まで、リーダーとして決起するには、周囲の支持がなければならない、信がなければ立つべきではない、と理解してきた。本来の意味とは違うかも知れないが、そういう意味でこの三木武夫の言葉を理解したい。

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