5月11日 亀倉雄策(グラフィックデザイナー)

人生のなかだるみの第一波は40代後半。問題の第二波は50代半ばにくる

亀倉 雄策(かめくら ゆうさく、1915年4月6日 – 1997年5月11日)は、日本のグラフィックデザイナー。

文化功労者に選ばれた時期に書いた著書『直言飛行』では、人生を考えるようになる「中だるみ」の第一波は40代の後半にやってくるという専門の医者の説を紹介している。問題の第二波は50代半ば頃にくるという。この説に当てはめると、40代後半で私は大学への転身で中だるみの第一波を乗り切ったということになる。また50代半ばから新しいテーマである「人物記念館の旅」に熱中していったのも説明できそうだ。70代半ばに書いた亀倉雄策のこの説には納得する。

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5月10日 難波康子(登山家)

やはりエヴェレストは大変である。登った人はどんな形にせよ尊敬する

難波 康子(なんば やすこ、1949年2月7日 – 1996年5月10日)は日本の登山家。

難波は国際宅配のフェデラル・エクスプレスの人事部に所属するOLだったから苦労も多かった。遺品となったノートに女性がヒマラヤに挑戦する困難さを以下のように記している。働いていなければ資金が難しい。働いているとバケーションの問題。周りの理解。男性隊にまじった場合には登らせてやるという感じ。結婚・出産・子供の問題。、、。冒頭の言葉のように難題をクリアーした女性登山家を尊敬したのだ。女性登山家の抱える難題の山はエベレストよりも高かったかもしれないことを想像させる。

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5月9日 安藤太郎(実業家)

経営の一番のキーポイントは情報処理。情報が不的確だと明確な企業ポリシーはできてこない

安藤太郎(あんどう たろう、1910年(明治43年)1月3日 – 2010年5月9日)は、宮城県出身の実業家。

安藤の積極経営の資源は「情報」だった。確度の高い情報を入手し、吟味し、明確なポリシーをつくりあげて、組織と集団に方向感を与えて戦いに勝利する。それは都銀懇話会でライバル銀行の俊秀との切磋琢磨で磨き上げ身につけたやり方だったのであろう。安藤太郎は、98歳で健康を害する2008年まで住友不動産の相談役として過ごしている。自宅で、老衰で亡くなったのは、100歳だった。

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5月8日 テレサ・テン(歌手)

わたしはチャイニーズです。世界のどこで生活していてもわたしはチャイニーズです

テレサ・テン(1953年1月29日 – 1995年5月8日、中華圏で使用された名前は鄧麗君〈デン・リージュン〉)は、台湾出身の歌手。

中国本土以外の国に住んでいる中国籍も持つ華僑や、移民である華人たちは、中国人(チャイニーズ)としての誇りを強く持っており、政治体制の違う自身の経済活動を営む国に貢献しながら中国本土の動向を見守っている。そういう複雑な彼らの心理と意識がテレサ・テンの冒頭の発言によく現れている。「私は自由でいたい。そして、全ての人たちも自由であるべきだと思っています」と言うテレサ・テンは作家の三浦しをんが言うように「才能と知性と感受性にあふれた」女性であった。2000年には中国のGDPは日本の4分の一だった。没後、20数年経った今、日本の3倍の経済力を持つようになりつつある中国の躍進と政治体制をテレサ・テンはどのように見るだろうか。

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5月7日 安宅英一(総合商社安宅産業の会長、芸術のパトロン)

人でも、ものでも、結局のところは品ですね。品格が大切です

安宅 英一(あたか えいいち、1901年1月1日 – 1994年5月7日)はかつての総合商社安宅産業の会長で、同時に芸術のパトロンである。

もの自身をして語らしむことを念じていた安宅英一は文章をほとんど残さなかったが、言葉は残っている。「ものは、三顧の礼をもって迎えるべし」。「人にお辞儀しているわけではなく、その後ろにものが見えるのですよ。 ものに向かってはいくらお辞儀してもし過ぎることはありません」。冒頭に掲げた「人でも、ものでも、結局のところは品ですね。品格が大切です」という名言は、手触りの肌合いが心地よい品のある質感と、格の高いひびきの調子が大事なのだという考えだろう。ものは人である。

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5月6日 松下圭一(政治学者)

歴史の変化のなかに現実の構造変化をみ、また現実の構造変化を推し進めて歴史の変化をつくりだす

松下 圭一(まつした けいいち、1929年8月19日 – 2015年5月6日)は、日本の政治学者。

松下圭一の方法は「歴史の変化のなかに現実の構造変化をみ、また現実の構造変化を推し進めて歴史の変化をつくりだす」であり、市民起点の自治体改革から始まる市民型構造改革」が立ち位置である。そのためには、価値合意を求めるための「構想力」の訓練が必要であるとする。思想−構想−現場−改革−思想という思考循環は、「現場」を熟知した理論形成であり、深い説得力と広い影響力があり、自治体職員など実務家にもファンが多かった。その松下は、最晩年には日本沈没を予感し、市民社会構築への課題を提起して逝った。現今の社会を眺めると、その課題は的確であると改めて感じ、身が引き締まる思いがする。

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5月5日 古川薫(小説家)

樹液の環流を聴く樵のようでありたい

古川 薫(ふるかわ かおる、1925年6月5日 – 2018年5月5日)は、日本の小説家。

初めて直木賞候補となった40歳から、候補は数年おきに10回に及び、25年越しの65歳でようやく宿願を果たし、その後も作品を書き続けた。「樹液の環流を聴く樵のようでありたい」は絶筆の中にある郷土作家・古川薫の「志」である。長州・山口という大木の中の樹液のごとき人々とその環流である歴史を樵のように耳を澄まして聴き続け、上等の椎茸のような作品を上梓し続けたこの遅咲きの継続の人に学ぶべきことは多い。

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5月4日 長洲一二(政治家、経済学者)

できるだけ、本物に接しておきたい

長洲 一二(ながす かずじ、1919年7月28日 – 1999年5月4日)は、日本の政治家、経済学者。

忙中の小閑を得たら大切な本質的なものごとに触れておきたいという気持ちが起こる。宗教に惹かれる長洲一二は「考える知事」を目指し、本物、本質を追ったからこそ、20年という長い歳月を走り得たのであろう。

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5月3日 長田弘(詩人、児童文学作家、文芸評論家)

自分たちの目の前にあるもの 平凡なものが一番 本当は奇跡じゃないかと思われてならないですね

長田 弘(おさだ ひろし、1939年11月10日 – 2015年5月3日)は、日本の詩人、児童文学作家、文芸評論家、翻訳家、随筆家。

長田によれば、人はそれぞれ海、山、川という風景を背負いながら前進するが、いつしかその風景を忘れてしまう。しかし、自然と共生している眼の前の日常こそ奇跡なのだ。長田弘という詩人は、「後の人々の目印になるものを」を書こうと志した。それが人々の心を打つ詩として残った。

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5月2日 槇有恒(登山家)

頂点に立つ人々の光栄は大きいが、その光栄はすべての仲間のものである

槇 有恒(まき ゆうこう、「ありつね」とも、1894年(明治27年)2月5日 – 1989年(平成元年)5月2日)は、宮城県仙台市出身の日本の登山家。文化功労者、仙台市名誉市民。

岩波新書『私の山旅』には「頂点に立つ人々の光栄は大きいが、その光栄はすべての仲間のものである」という言葉がある。マナスルという巨峰の征服という大プロジェクトは隊員12名、シェルパ20名、ポーター400名などで構成するチームが大きなピラミッドを築き上げるようなものであり、最終的に誰が頂上に立ったかは大きな問題ではないということだ。山行のリーダーの至言であるのだが、大小にかかわらず、プロジェクトとはそういうものである。

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